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ずっと繋がっている

「なんだ、今忙しいのかよ。」
父が私に会うと、いつもお決まりのように聞いてくる口癖のようなもの。
以前ならこう聞いてくるときは、何か手伝ってほしいことがあるとき。
「今は〇〇が終わって一段落したから、時間取れるけど、何かあんの?」と私が答えれば、車を出して父の仕事を手伝うのが常でした。

ここ数年、様々なことが重なって父の手伝いはなかなかできないまま過ぎてしまいましたが、その数年の間に、父も私も、それ以上の時間が過ぎ去ってしまったようにも思え、あるいはそれよりもずっと時間が巻き戻されていたのかもしれません。
ようやく一区切りがつき、父の手伝いができたとき。
それが父にとっての、仕事納めでした。

「なんだ、今忙しいのかよ。」
以前と同じように、時折思い出したかのようにそう問われ、どう答えても、その後に続く会話も、手伝いも、今はありません。
すっかり耳も遠くなってしまい、私の言葉もどこまで届いているのか分かりません。
父の目に見えている私は、今の私なのか、いつの頃の私なのか、私には分かりません。
いま父は、今ここにいるのか、いつの頃にいるのか、本当のところは私には分かりません。

けれど、幼い頃より辛く苦しい思いを数多く抱えてきたであろう父の、今とても穏やかに見える姿を見て、私にも信じることができることがあります。
父もまた、父自身の内にある、光り輝く安らぎの場所に辿り着けたのだろうと。

自分の中に、誰もの中に、あらゆるものの中に在り続ける、ありふれた場所。
始まりに旅立つ場所。ずっとそこにあり続けているのに、つい忘れてしまう場所。
いつでも、そしていつかは、還ることのできる場所。
怒りも憎しみも、苦しみも悲しみもなく、波打つようにきらめき揺らめく、ただどこまでも安らぎに満ち溢れた場所。

別れ際にはいつものように手を振る父の姿は、いつもよりも、幼子に手を振るようにも見え、幼子自身が手を振るようにも見え。
互いの時間がいつの頃であっても、どこにいようとも、どれほど変わろうとも。
始まりから終わりまで、ありとあらゆる今この瞬間瞬間に、変わらずにあり続けるところで、私たちはずっと繋がっている。








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