そんな乳首があるならば、見てみたい。

数年前のことだ。
先輩と「自分の乳首は何に例えられるか」という話になった。

その先輩は、「わたしは干し葡萄。」となんだか自慢げに言っていて、それって自慢できるものなんだろうか、と思って聞いていた。(先輩ごめんなさい。きっとリアルさを追求して、かなりいい線の例えができた表情だったんだと思う)。
どうせなら干してある果物ではなくて、いい塩梅のみずみずしいデラウェアあたりが良さそうだ。

わたしは、子どもを2人出産したら、見事に乳首の面影が消え失せてしまった。幾重にも刻まれた皺が、わたしの生きた証だと思えば、高尚な気持ちにもなるかもしれない。しかしもう、わたしの乳首が、うえを見上げることはないのだ。上を向いて歩くことは叶わないのだ。
かわいそうな、わたしの乳首。

むかし、乳首にほくろがあった。娘に乳を与えていたら、いつの間にかなくなった。わたしはこのまま「すべて」を飲み込まれてしまうんではないか。そう思ったら、娘のかわいさと同じくらい身震いしたのを思い出す。
そんな、わたしの乳首。

先輩が、「あなたのはどうか?」聞いてきた。
わたしは考えた。うーん、何か的を得ているものはないものか。
わたしが頭をひねっていると、先輩が言った。「わかった、わたしが一緒に考えてあげるから、どんなか言ってみて。」

「えっと、乳の上になんだか申し訳程度に、ちょこんっと居座っている感じです。」

すると、先輩の表情はパッと明るくなって、
「わかった!クミンシードだ!」と言ったのだ。

なぜそんなくだらない話をしていたのか、もはや知る由もない。
ただ、クミンシードを見ると、そのときのことを思い出して、複雑な気持ちになる。

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