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終わりゆく中世、ドイツの農民たちが守ろうとしたもの

こんにちは酪農家ヤコです。皆さんお元気ですか。

北海道もようやく花咲く季節となりました。

すっかり久々の投稿となりましたがどうぞお付き合い下さい。

今回はこちらを取り上げます。

堀越宏一『中世ヨーロッパの農村世界』  (1997年)山川出版社

です。

中世ヨーロッパの農村、農民と聞くと、自由もなく死ぬまでひとつの土地に縛られ、領主たちに不当に搾取されている…

といった暗くマイナスなイメージのみが浮かびがちですよね。

しかしこの本には次のように書かれています。

紀元千年以降、ほとばしるような活力に溢れた中世の農民たちは、未開の森林を切り開き、耕地にかえていった。これこそヨーロッパ世界を誕生させた力の源だった。(カバー裏より)

著者は、近年の中世農村史研究によって可能となった、「中世農村のもっていた豊かな側面」(p2)を描き出すことを目的としているそうです。

そこで生まれた村落共同体や新しい身分の秩序は、領主の一方的な支配のもとに置かれていたわけではなく、自治と自由の色彩を帯びる場合も多かった。(カバー裏より)

農民たちは苦しんでばかりいたわけではない。自発的で明るい暮らしも間違いなくあった。

意外ですよね。

…とはいえやがて中世が終わりに近づくと、

近世に登場する国家の管理によって失われてゆく中世ヨーロッパの農民世界(同)

となるわけです。

この本は、これまであまり明らかされてこなかった農村・農民にとっての中世という時代を、歴史や自然、社会制度など様々な角度から紹介しています。

とても価値ある一冊だと思いました。

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ではこちらを元に、少し掘り下げましょう。

タイトルにもある中世の終わり頃の話です。

この時代になると、ヨーロッパ各地に近代国家(領域国家)が形成され、税制や法体系の整備が進み、人々が「全国的に」管理されることになります。

それまで各地の「村落共同体ごとに」、「自生的に」生まれていた彼らの権利や制度が、国家により制限されたり否定されてしまう。

中世後期にはヨーロッパ各地で農民一揆が起こるのですが、その中には「農民対国家」(p85)という性格のものがあるのです。

なかでも特にご紹介したいのが、大規模な対国家農民蜂起の1つである「ドイツ農民戦争」(1524-25年)です。

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ドイツ農民戦争

すでに十五世紀後半から、増税とともに、牧草地や共有林などの村落共有地用益権や村落共同体自治権の制限などの農民抑圧政策を強化しつつあった南ドイツの領邦諸国家にたいして、農民の不満は鬱憤していた。(p86)

1493年から1517年にかけて起きた「ブントシュー 一揆」の流れを汲んでいる「ドイツ農民戦争」は、1524年にドイツ南部から始まり、中部にも拡大しました。

指導者は、ルターの影響を受けた宗教改革者、トマス・ミュンツァー(下画像)

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一般に宗教改革が始まったのが1517年とされていますから、ほぼ同時代の出来事です。

はじめはルターもこの反乱を支持していたのですが、ミュンツァーが現行の農奴制を否定するなど社会制度の急激な改革を主張していることを知ると、反対に回りました。(ルターは宗教においては改革者ですが、社会制度においては保守的だったということです。面白いですね。)

さて、ミュンツァーに率いられた農民たちが国家(ドイツでは領邦諸国家)の支配に対して反乱を起こし、求めたもの、または守りたかったもの。

それは彼らが表した「一二ヵ条の要求」に込められています。

翌年三月には、一二ヵ条要求が起草、流布されたが、そこでは、領主の農民にたいする人身的支配の象徴だった死亡税の廃止、共用林用益権の回復、賦役の軽減、恣意的でなく「古き良き法」によった裁判などが求められている。(p86)

以下、このように続きます。

農民たちがなにより求めたのは、先祖伝来の村落共同体の慣習である「古き良き法」の維持だった。(p87)
それはドイツでは、十三世紀以降、領主と農民が共同で定め、慣習法として確立した判告録のかたちをとるものであり、中世農村に生きる人びとが、農業経営の必要と身分の桎梏のなかで戦い妥協しながらつくりあげた公的な秩序である。(p87)

彼らがもっとも守りたかったものは、先祖たちが少しずつ築き上げた、慣習に基づく法律だったということです。

始めは勝利を収めていた農民たちですが、やがて諸侯軍により反乱は鎮圧され、死者となった農民たちは10万人にのぼりました。ミュンツァーも拷問ののち処刑されました。

けっきょく彼らの思いは叶わず。中世の農村共同体は、次第に近代的な国家システムへと置き換えられていくのでした。

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⭐︎ ちょっと休憩 ⭐︎

私は現在、保守という思想を勉強中です。

その思想のはっきりとした起こりは中世からもっと時代が下った18世紀後半。フランス革命における過激で野蛮な行いに抵抗するためのものですが、その思想の枠組みだけ取り出すこともできるでしょう。

例えば、

・時効、時間効果、または持続の効果(バークによる) … 長きにわたって持続してきた事柄には(たとえ全面的にではなくとも)参照すべき重大な知恵が含まれている(西部邁『保守思想のための39章』2012)
・愛着 … 保守的であるとは、見知らぬものよりも慣れ親しんだものを好むこと(オークショット『保守的であるということ』1988)
・慣習法の優先 … 保守思想が重んじる秩序は、立法府によって成文化され行政府によって施行され司法府によって裁定されるような法的秩序ではない。というよりこれが重要視するのは、制定法よりも慣習法である。そうする理由は、慣習のうちに歴史的な道徳にかんする社会的な常識が貯えられている、という点にある(西部 2012)

これらと照らし合わせれば、この時の農民たちの行いは正に保守的であるといえます。

しかし、先ほど書いたのですが、指導者ミュンツァーは農奴制を否定するなど社会制度の「急激な改革」を主張したのです。

これは一見保守ではないですよね。保守は急激な改革を嫌うはず・・・。

ここで思い出されるのが、

復古でない革命はいまだかつて一度もなかった
(『「過去」をとりもどす自由』ー『求む、有能でないひと』に掲載 2004)

というチェスタトンの言葉です。

逆に考えれば、「復古を望めばその行いはすべて革命的になる」となりましょうか。

つまり、近代国家に破壊されていく中世を取り戻そうとすれば、その行動自体は保守的なのですが、同時に急進的な革命性を孕むことになるのです。

特にこの時、農民側は戦争まで起こしているのですから、自分たちが守りたいもののために要求が過激になってしまうのも理解できます。

だからこそ…過去から現在に受け継いでいる大切なもの。それを見極め、けっして失われてしまわないように、慎重に慎重に扱う必要があることを、今に生きる私たちは強く意識しなければならないのです。

これは重大な教訓だと思います。

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さて最後に。

現代では、特に日本でも、農業、農村、農民のあり方が随分と変わってきたと言えるでしょう。

国の政策も、一部見直しの方向も出てきつつも、まだまだ農業のグローバル化やビジネス化を歓迎し、自由貿易協定の拡大や農産物の輸出促進を続けていますね。

人口の減少、貧困化、国内需要の低迷などの問題から、そのような方法に生き残りの活路を見いだすことも仕方ない…のかもしれません。

とはいえ、私たち農民は、そもそもなんのためにこの仕事しているのか。私たち農民にとって大事なことはなんなのか。私たち農民を一方的に偏狭な考えへと追い込もうとする本当の敵は誰なのか。

合理化、IT化、規模拡大、世界を視野に入れたビジネス…数々の「進歩的」概念が現代の農民を取り囲みます。完全に逃げることはできないとしても、もしあなたが混乱し、疲れたとしたら。

たまには立ち止まって、はるか昔の中世末期ヨーロッパで、来るべき近代という時代に否定の意思を突きつけ戦った農民たちの姿に思いを馳せるのもいいかも知れません。

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参考その1 日本の話 … 11月23日、宮中で行われる新嘗祭に際し、毎年全国から選ばれた地域より新米などが献納される

参考その2 フランスの話 … 農業政策への抗議、特に報酬を正当なものにするよう訴えるため、農民たちはトラクターで街へ集結する

時には破壊も♡

ここまでお付き合いありがとうございました。

ではまた。