生産性と私と
生産性が高いとか低いとかという話よく耳にしますね。
実際のとこら他人の生産性ってどこまで理解してますか?
わからないことに なんとなく悩まされてるのかなと思うのです。
朝から晩まで働くことなのか
職人さんの技術 簡単には作れないものを形にするからなのか
時間なのか技術なのか 生産性ってどちらで考えるのでしょう。
質より量なのか 量より質なのか
毎日続けるから良いのか
コロナ自粛をきっかけに 私が始めたことがある。毎朝のトイレ掃除につづき
床の雑巾掛け
お休みする日もあるけど 床をふきあげた日の床というのか 空気というのかの気持ちよさは格別だったことから 何気に続いている。
家をきれいに保つとか 栄養考えた食事とか
したい もっと自分を大切にしたいなんていう気持ちはみんなあるけど
なぜかできないって悩む人は多い
それは根性が足りないからだ 三日坊主でダメだ……とかくらいのダメ出しぶりで www
しかし それって朝早くから支度をして家を出なきゃいけないかったからなんじゃないかとか 単純にそういう事だったのかなと 自粛をきっかけに時間との付き合い方の変化で思った。
それはつづかないし、できないわ… と今までを振り返りふと思う
それでもやってるよという人もいると思う
朝すごく早起きして 夕飯の支度まで済ませ、仕事に向かい 帰ってきてからは食事を済ませたら洗濯機を回し 家の片付けをして そしてやっと布団に入る というようなリズムをこなすという詰め込み方なのかな
これって 得意な人もいれば苦手な人もいる。
そんなことも
生産性という言葉で自分を苦しめてる人多いのかな。これって 無意識のストレスですよね。
落ち込んでるわけではないのに気分が冴えない感覚の時ありますよね。
すごい落ち込む理由がある方が まだ落ち込むことに集中できる。
しかし なんとなく調子乗らないなと感じる瞬間ってなぜ起きるのかなと考えてみた。
そこには 生産性という価値観が引き起こしてると思った。
そしてその価値観には 時間と空間と成果と目に見えないもので縛られていると感じた。
はっきりと見えないもので 自分を評価してしまい エネルギーを落としてる。
ごきげんさんでいる事がエネルギーアップになるなら 生産性というより満足感や達成感に意識を切り替える事なのかな。
朝の床掃除だって達成感から 習慣になり それは生産性に繋がる。
今 和装ブーケを布花で作っている。
布を花の形にする事から考えると とても手間と時間がかかる。
しかし それを生産性が悪いと思っていない。
世の中に溢れた 早い便利という価値観に飲み込まれ 大切な創造性を置き去りにしてしまっているのではと感じた。
日本人は創造する能力を持っていたときく
この豊かな島国が今まで言葉も失わず守られたのは この創造する力があったからなのだと。
もっとゆっくりでも良い 私はそうおもうのです。
YUKIKO
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