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私と娘と

昨今 子どもと親との関係での痛ましい事件 家庭内での凄まじい暴言やママ友を信じ我が子を傷つけた話などを目にして 
誰が悪いとかではなく 自分の内側に向き合っていたなら冷静に氣づけたのではと悲しく感じた。

少し私の話をしても良いですか
というのは 先日、娘の学校の学年末学習発表会を見に行ってきました。
高校生もあと1年、
進路など自分と向き合う時大袈裟にいうと
彼女がどんな人生を形作るかを初めて考える大切な時。
今までもたくさんのことを考えてきていただろうけど より具体的に考える人生のターニングポイントなのかな。

娘の学校は子どもたちの個性や可能性を尊重し 発表のテーマも多岐に渡りとても楽しかった。
音楽を作る子 歌う子 建築の研究 フォトグラフの世界 小説の分析をしたり 企業し活動してる子 そして等身大なテーマを発表する子などなど
不思議と子どもたちは お互いを尊重しお互いの得意を生かし学校行事なども作っている。
お勉強の得意不得意ではなく 個人がもつ才能を認め合う関係が自然とできている。

娘が 親元を離れその学校へ行くと決めたのは 15歳の時 地元の学校をいろいろと見ていたが 中学校の3年間と同じことの繰り返しだなと感じたのだとか……
その思いを聞いた時 いろんな葛藤があった。
まさか娘と離れるタイミングがこちらのペースは関係なく3年も早くやってきたこと。
まだまだ子どもなのに大丈夫なのか?
などなど……
彼女の気持ちはかたく まずは受験という挑戦に向け動き出していた。 
こちらもそれをサポートするしかなく事は進んでいくばかり。
しかし 彼女の思い描いた道はどんどんと開かれていくようだった。

娘の進路を知った 私の友達などからいろんなことをやっぱり言われた。
人と違うことを選んだ時に起きる人の反応というものを様々と見た。 応援してくれた友達もたくさんいたが……中には否定も多く現れた。
中で一番キツかったのは 『家にいたくなかったんだね そんな思いさせて可哀想だね』というような内容 私の家のことを勝手に決めないでと怒りも起きた、すごく落ち込みもしたし そんなと違うと否定もよくしてた。

今思うと不思議な体験をしたなと感じる。

不思議な体験とは

人の反応の違いを しかも両極を体験する私とは違い 娘の世界はどんどん広がっていく。 コレってなんなんだろうと

私がこの経験でわかったこと

私と人の人生観の違い
当たり前と思われるかもしれないが 頭に血が上った状態では その思考の波に飲み込まれ 冷静に自分は何を感じたかまでたどり着かない。
誰が正しいとか間違いとかではなく 単純に
"私は何を感じていたのか"
冷静に向き合うまでは 『みんなはなんでわかってくれないの?』と外側に目が向いていた
そう 最初にあげた事件のお母さんたちと同じ思考回路なのである。

あわない人間関係の整理というような事も最近ではよく聞くが 好きな人か嫌いな人かという事ではない。 
自分の進む道に対して邪魔をしてくる自分の思考との付き合い方の話なのだなとわかった

そして 娘が『こんな風にすれば良いのだよ』と前に進む姿をお手本のように見せてくれている。

何を言いたいのかというと
『ママにもできるよ やっていいんだよ❗️
言葉ではないけど 私が望んでいる未来を再現してくれていると感じた。

特別何かを始めたというわけではないが この経験は私には大きかった。
自然と心の自立に向けて歩み出したと私自身が感じだから
そうなると まわりが不思議と気にならなくなる 常に私が何を感じたかを意識するようになったから。
過ぎ去った経験ではあるが あの前と今では少なからず私は変わったと感じられる。
今はずっと近くで一番の理解者としていてくれたのは自分だったなとわかる。

私が変わるとまわりが変わる

その意味を体感した一番近い出来事だったなと。
おかげさまで 娘も親元を離れ たくさんの経験を通して自分の在り方に向き合っている。
彼女は 勇気、覚悟のいる決断だったけど その時はそこまでわかっていたわけではないけど早くにこのことを体験して良かったと話してくれた。

子育てしてるお母さんたち 新米ママだけでなく多くのお母さんたちに こんな氣づきをシェアできたらなと 自分自身のことを綴ってみた。
そして 働く女性たちにも これは男女問わずでもあるな まわりではなく まず自分に赦す許可をしてほしいな
実行できるかできないかではなく 感じることで少しスペースができるから。

YUKIKO



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