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割れたコーヒーカップ


コーヒーカップが割れた

たくさん使っていた
いつでも一緒だった

大切に使うというより
あたりまえすぎて雑に扱っていたのかもしれない

ガシャンと割れると
周りの人が反射的に後ずさった

ひとり、
指先でそっと破片を拾いながら
どうするか考えてみる

いっそのこと
ソーサーも割れていたら
まとめて思い切って捨てていたのに、と
ひねくれる

カップだけ捨ててソーサーだけ使うのは
なんかちがうし

割れたカップといっしょに
割れてないソーサーも
まとめて捨てるのは気が引けた

鋭い割れ目に指を当てながら考える

そうだ、
金継ぎをしよう


バラバラになった破片を片手に
パズルのように模索する

ピッタリはまるようではまらない

掃いてしまった細かな屑の分が
遠慮がちに空白をつくる

丁寧に丁寧に
時間をかけて、
空白を埋め
漆を塗り
金粉を蒔く

昔、
百均の漆の盆に
蒔絵を施した時のことを
思い出した


コーヒーカップは
金糸を纏った新たな姿で
見事にソーサーの上に戻ってきた

これからも、
じんわり水漏れをするかもしれないし
また何かの拍子に割れてしまうかもしれない

そうしたらまた
丁寧に時間をかけて
新たな模様を纏わせよう

なめらかに覆われ
でも
決して誤魔化したり隠したりしない傷跡は美しく、
コーヒーカップの
唯一無二の魅力になった


わたしは今日も
お気に入りのコーヒーカップで
ひと息つく




いつもとはテイストのちがう
投稿をしてみました。

そんで、
ちょっとだけハズカシイので
いつもとちがう時間で投稿してみました。

詩と言っていいのかな。


昨日のnoteを書きながら
金継ぎと心の回復は
似てるんじゃないかという仮説が
自分の中に立ちました。


カップは心、
ソーサーは身体に
見立ててい(る”つもり”でい)ます。

こんなことを書いておきながら
金継ぎをしたことはないのですが
(なんでやねん^^;)
以前テレビで見た金継ぎに心を打ち抜かれ
いつかやってみたいなと思っています。

そういうわけで
金継ぎに関しては
言葉足らずの表現もあるかもしれませんが、、、。


金継ぎをイメージして疲れた心に向き合うと
自分とのいい向き合い方が見えてくる気がして。
ここに言葉にして遺しておきたいと思います。

最後まで読んで
わたしの自己満に付き合ってくださった皆様
ありがとうございました。

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かわいいイラスト
お借りしました。

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