性犯罪の冤罪における非対称性
2024年11月8日、松本人志さんがXで次のようなポストを投稿しました。
この件について、考えていることをポストで連投したところ、それなりの反響がありました。
Xのポストではそのうち流れて忘れ去られてしまうので、あらためてnoteで文章としてまとめておこうと思います。
1. 冤罪をかけられた時点で詰み
松本人志さんの件、もはや詰んでいると思います。
事実無根でも冤罪を着せられてしまうと、性的行為を強要したという客観的証拠が無いと確認されても、相手と和解が成立しても、こんなにも大勢の「性犯罪者扱いする人々」が名誉毀損と誹謗中傷を続けるわけです。
とんでもない男性差別社会だと思います。
相手に裁判で牛歩戦術を取られたら最後、ひたすら戦い続けるしか冤罪を晴らす方法が無い。自分の人生すべてを棒に振り、仕事もプライベートも何もかも犠牲にして、長い年月をボロボロになりながら。
ようやく勝訴して冤罪が晴れたとしても「草津事件」の例でわかる通り、ほぼ誰も謝罪なんてしません。
冤罪を着せられた時点で『詰み』なんですよ。それが女性優遇社会であり、男性差別国家であり、現代日本なんです。
相手が客観的証拠を何も提出できなくても、長い年月を裁判で費やさなければならない。 それよりは、和解を受け入れてファンの方向を向く決断をされた松本人志さんを、心より応援します。
2. 被害届さえ出ていない
あまり理解していない人が多いですが、そもそも社会的に性犯罪の冤罪をかけられたときに「相手側を名誉毀損等で訴えて勝訴しなければ冤罪を晴らすことができない」という状況自体がおかしいんですよ。
通常の犯罪ではあり得ない事態が起きています。狂っている。
松本人志さんの件は『法的な性犯罪者』と『社会的な性犯罪者扱い』のギャップが顕著になった事例だと思います。
通常の犯罪は「被害届→(告訴)→起訴→裁判→犯人である証拠の提出→有罪判決→犯罪者」という流れ。法的にも社会的にも。
でも、性犯罪だけは違う。
今回のケースは、被害届さえ提出されていません。 松本人志さんは、法的には性犯罪者どころか容疑者でも何でもない無実の男性です。
しかし、週刊誌のデタラメな証言だけで社会的に性犯罪者のように扱われている。彼は『法的にはそもそも罪に問われていないので無実を証明する方法自体が無い』のです。
すなわち『詰んでいる』状況。
男性側が取れる唯一の手段として、 「女性側を名誉毀損罪や侮辱罪等で訴える」があります。
草津事件の場合は虚偽告訴罪も。しかし、草津事件で損害賠償が認められたのは極めて稀なケースです。これらは実際には相当ハードルが高くて難しい。なぜならば『訴えた側が証明しなくてはならないから』です。
「相手が客観的証拠を持っていなければ名誉毀損を証明できるだろ?」と考えている方は、あまりにも甘すぎる。
法的には『相手が客観的証拠を持っていない証明』でしかなく『相手が意図的に名誉毀損した証明・実際に自分の社会的名誉が著しく毀損された証明』にはなりません。これが想像以上に難しい。
通常の犯罪では、冤罪をかけられた当人は『訴えられる側』なので「犯人である証拠」が無ければ、社会的にも法的にも冤罪が証明できます。
しかし、性犯罪では立場が逆転する。
冤罪をかけられた当人が『訴える側』になり、相手の名誉毀損罪・侮辱罪・虚偽告訴等を証明しなければ、冤罪が晴れません。
女性の言葉だけで、週刊誌やSNSで社会的に冤罪がかけられる。
男性側は「やっていない証拠」いわゆる「悪魔の証明」を成し遂げてもダメで、女性側を訴えて「相手の悪意」「名誉が毀損された証拠」等を"客観的に証明"できなければ冤罪は晴れません。
これが性犯罪の冤罪です。 あなたも例外じゃない。
3. 社会構造的な問題
松本人志さんの件は『社会構造的な問題』です。
週刊誌やSNSにおける女性の言葉だけで、司法も警察も介さず、雰囲気で性犯罪者に仕立て上げられる。
法的には無実のまま、社会的な冤罪をかけられる。
そもそも訴えられてないから通常の犯罪のように「やった証拠が無い」では冤罪を晴らせない。通常の犯罪は"やった証拠"がなければ冤罪は晴れる。
でも、性犯罪は「冤罪をかけられた側が相手を訴えて"やってない証拠"という悪魔の証明」をしても不十分です。「相手の悪質な意図と社会的名誉が実際に毀損されたことの客観的証明」ができないと、冤罪が晴れない。
松本人志さんは、 法的には「性犯罪者どころか容疑者ですらなく訴えられてもいない無実の男性」なのに、社会的には「まるで性犯罪者かのように扱われている」のです。
この『法的には訴えられていないのに社会的には冤罪をかけられている』というギャップが性犯罪の冤罪における社会構造的な問題です。
通常の犯罪では疑惑を持った側が「訴える側」になります。そして、訴える側に立証責任があります。
性犯罪では疑惑を持たれた側が「訴える側」になります。そして、訴える側に立証責任があります。すなわち「やってない証拠」いわゆる「悪魔の証明」をしなければならない。
この時点で無理ゲーですが、「悪魔の証明」を成し遂げても、性犯罪の冤罪は晴れません。法的にはそもそも「冤罪自体がかかっていない」のですから。勝訴にはならない。相手を訴えている名目は「名誉毀損罪・侮辱罪・虚偽告訴」等であり、これらを証明しなければなりません。相手の悪意を客観的に証明することは、非常に難しい。
しかし、これが現代日本社会です。
週刊誌やSNSで女性の言葉により、司法も警察も経由せず、社会的に犯罪者扱いをされてしまう。法的には無実のまま、社会的に冤罪をかけられる。法的には訴えられてさえいないから、通常の犯罪のように「やったという証拠が無い」というだけでは冤罪を晴らせません。
4. 性犯罪の冤罪における非対称性
松本人志さんの件に関して「真偽不明ならばどっちもどっちでは?」 という意見を見かけますが、全く違います。
冤罪をかけられた方は「疑惑をかけられた時点で真偽不明にも関わらず取り返しのつかない名誉毀損と大損害を被り人生がボロボロになるから」です。冤罪をかけた方はノーリスク。非対称性がある。
そもそも、まず性犯罪等を証明する物証がないと確認されており真偽不明ではない。さらに、真偽不明であった過去の時点においても相手側はノーリスク、松本人志側は一方的に損害を被っている。
どの辺りが『どっちもどっち』なのでしょうか。
男女の非対称性が恐ろしく顕著になった事例だと思います。 まるで根も葉もない「疑惑」を受けた時点で、性犯罪者のように扱われて社会的名誉はズタボロになり大損害が発生する。
でも実際には被害届さえ出ておらず法的には『何の罪もなく無実』のままだから、裁判で無実を証明しようがない。詰んでる。
「自分の無実を証明する」と「相手の名誉毀損を証明する」は、本来は別のものであるはず。
名誉毀損の証明には「相手に悪質な意図があったこと」「相手の発言と社会的名誉の低下に因果関係があること」等を客観的に証明しなければならない。当然、自分の無実を証明するだけよりも俄然ハードルは高い。
本来はそんなことしなくて良いんですよ。 そもそも被害届が出ていない、性犯罪で訴えられてもいない、何の罪にも問われていない、無実なんだから。
しかし、社会がそれを許さない。
性犯罪は『疑惑』の時点で大損害が発生する。実質的に放置はできず、無謀な「名誉毀損等の証明」をしなければならない。
性犯罪の冤罪には、社会構造的な『非対称性』が存在します。
疑わしきは罰せずどころの話じゃない。
こんなあり得ない事態が平然とまかり通っており、およそ法治国家とも民主主義社会とも思えませんが、これが現代の日本社会です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?