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「東京」とは、さまぁ~ずだった。

さまぁ~ずの三村さんは、たとえば、
「気づけば、知らないおじさんがすぐ近くに立っていた話」も、
「はじめて見るものを、口に運んでみたときの話」も。
それから、「唐突に奥さんに呼び止められたときの話」だって、
おおよその経緯(いきさつ)を話し終えると、
丁寧に一呼吸置いて、

「すこ〜し、こわいじゃん。わかる?」

と、よく大竹さんの方に視線を送る。

俯き加減のまま大竹さんが、
「わかる。わかります。こわいね。こわい」
と何度も深く頷くと、
三村さんはなんだか一層嬉しそうに、
「でしょ?これ、こぉーわいでしょ。それでね、聞いたわけ…」
と話を続けるから、聞いているこちらまで嬉しくなって、わたしはにやにやと口もとが緩んでしまう。

『さまぁ~ず×さまぁ~ず(テレビ朝日)の話だ。

性格はまるで違うのに、「これは好き」「これは嫌」がよく似たおじさん2人が、いつもいつも「数日前のできごと」をちょっと楽しそうに話している。
「なんでもない日」も、2人にかかれば、いつまでも聞いていたい会話になった。
なんでもない日の、さらに一番ちっぽけで、些細なできごと。
ほんのわずかな引っかかり。
さまぁ~ずとは、「日常をうろつく天才」なのだと思った。

わたしは、深夜にひっそりと行われる、なんの事件も特に起こらない『さまぁ~ず×さまぁ~ず』の2人の会話が好きで好きでたまらなかった。

夢に見た「けやき坂」

そんな、『さまぁ~ず×さまぁ~ず』が放送されているテレビ朝日。
はじめてその本社に訪れたとき、わたしはまだ大学生だった。
インターンの面接のために、兵庫県の山奥からわざわざ夜行バスに乗って「六本木」までやってきたのだ。

面接を終えると、テレビ局の入り口に併設されている「テレアサショップ」で、『さまぁ~ず×さまぁ~ず』のクリアファイルを買った。
三村さんが描いた、かわいい2人のイラストがあしらわれたものだ。
大事に抱えて、夜行バスに揺られ、また山奥へと帰る。
結果は、【不合格】だったけれど、はじめての東京への一人旅は刺激的だったし、何より手元に残ったクリアファイルがわたしには満足だった。

2回目と3回目と4回目にそこに訪れたときは、就職面接だった。
毎回夜行バスで帰るわたしの手には「テレアサショップ」の袋がしっかりと握られていた。
そこへ来るたび『さまぁ~ず×さまぁ~ず』のグッズを順番に買い揃えていたのだ。
ちょっとした「験担ぎ」みたいな意味もあったかもしれない。
あれよあれよと言うまに、面接や筆記試験が進んでいく。

その頃には、「もしかすると、ここで働けるかもしれない」
という淡い期待がむくむくとわたしの中に大きくなって膨らみ、
小学校を卒業するときも、中学校を卒業するときにも書いた、
「テレビの人になりたい」
は、すぐそこに手が届きそうに思えた。

しかし、最終的な結果は、またもやっぱり【不合格】だった。

その結果を、わたしは帰りの夜行バスの中で知る。
母に「あかんかったみたい」とメールを打つと、
「相性があかんかっただけで、ゆかちゃんは何もあかんことないよ。
一緒にドキドキできて、お母さん楽しかった。いつもありがとう」
と返事がきた。
バスの中はちょうど暗くて、とてもとても助かった。

だけど、わたしは六本木の、『さまぁ~ず×さまぁ~ず』の、あのテレビ朝日で、どうしても働きたかった。

「とりあえず、いつかたどり着こう」

そう心に決めて、わたしは当時、友だちの中でいちばん人気だったwebサービスの会社に入ることにした。

「雨」と「豆」

その会社は原宿にあった。
「こんなサービスが作りたいです」
と説明した企画が褒められて入社したように思うのに、最初の半年間は「仮配属」という名目で、スーツを着て広告営業の仕事をすることになった。
話すたび、

「関西弁、出ないようにして」

と先輩に叱られる。
自分では必死で隠しているつもりだったけれど、生まれてこのかた使い続けてきた言葉の気配は、端々からひょっこりと顔を出してしまうらしかった。
これを「恥ずかしいイントネーション」というらしい。
「雨(あめ)」を「豆(まめ)」のような発音で言うのはおかしいのだと言う。

「雨」のイントネーションがおかしいぐらいで、いったい誰を困らせてしまうのだろうと、わたしがいちばん困っていたけれど、先輩の言うことは絶対だったし、その先輩がもっと上の先輩に叱られるのは見たくなかった。
同じく関西出身の同期に相談すると、
「雨(あめ)は、“パテ”みたいに言えばええで」
とのことらしい。
なるほどおもしろいものだな、と思ったけれど、忘れっぽいわたしは、今度は、正しいのが「豆」だったか「パテ」だったかで困ってしまう。

仕方がないから、休日には部屋にこもって、大好きな『さまぁ~ず×さまぁ~ず』のDVDばかり見るようになった。
注目するようになったのは、2人の使う言葉だった。

「すこ〜しこわい」
「すこ〜しかっこいい」
「さーみぃーんだもん」
「やっちった」
「もらっちった」
「あっぶね」
「もう聞いてないことにし〜とこ!」
「あ〜あぁ、膝がこんなんなっちった!」

さながら、サザエさんで日本語を学ぶ留学生だ。
わたしは『さまぁ~ず×さまぁ~ず』を教材に、「さまぁ~ず」の標準語をコピーするようになったのだ。
わたしにとって、東京とは「さまぁ~ず」だった。

わたしと仕事

しかし、豆だかパテだかもよくわからなかったのに、
「仕事」というのは、どうやら本当におもしろい仕組みになっていて、
夢中で企画書をいくつもいくつも書いていたら、いちばん行きたかった企画職に異動することができた。
すこ〜しかっこいい上司を喜ばせたくて、朝から晩まで一生懸命に働いていたら、24歳の頃には、20人近くの給与を決めるような役職になってしまう。
もう、関西弁を使っても誰に叱られることもなくなっていた。
豆でもパテでも鮭でも、なんでもいいのだ。

さすがに、こーわくなっちったし、
「これが本当に、わたしのやりたいことなんだろうか」
と金髪頭を振り絞ってよくよく考えていた。

そして思い立ち、わたしは転職する。
文章を書く楽しさを、新しいことを生み出す楽しさを、またそこで思い出していった。
オフィスは六本木一丁目だった。
窓からは六本木ヒルズが眩しく見える。

しかし、またもわたしは夢中で働いていたら、気づけば今度は3つのチームを兼務するようになっていた。
だけど性格上、「あ〜あぁ、もう聞いてないことにし〜とこ!」というのができないものだから、楽しいのと同じくらい、いつも悩んでいた。
おかげで、放っておくと、25歳のくせにいつも髪がロマンスグレーになっちった。

そして、何気なく見つけた求人情報に引き寄せられて。
気づけばわたしは、またも「テレビ朝日」のエントランスに訪れていたのだ。

人生の組み立て

テレビ局は、webの領域に強い中途社員を採用したいのだという。
「なあんだ、人生はこういうふうに組み立てられているのか」
と思った。
帰りにテレ朝ショップに立ち寄ると、欲しかった『さまぁ~ず×さまぁ~ず』のパペットが売っていた。
なんだか懐かしい気持ちが込み上げてきて、思わず手を伸ばしそうになるけれど、はて、とそこで気付いて、手を引っ込める。

そして思い直したわたしは「バナナマン(『バナナTV』)」のメモパッドを買って帰った。次に来たときにも、バナナマンの靴下を買うことにする。

そして。
次に来たときには、わたしの首にはテレビ朝日の「社員証」がぶら下がっていた。
すこ〜しの緊張と高揚と、「ついにたどり着いた」という安堵の気持ちで胸がいっぱいになる。
「人生とは、こうやってーーー」
そして同時に、
「なんだよさまぁ~ずがわりぃーのかよ」
とも思い、やっぱりわたしは口もとがにやけてしまうのだった。

きらきらとした想いで入社し、遠い日からの憧れの場所で、
あがき、挫折し、辛かったり、ときどき嬉かったりした。
涙が出たり、うまくいった企画書は、小さなお母さんの仏壇に広げておいたりもした。
わたしの知っている「仕事の、おもしろい仕組み」とはまた違う「世の中の仕組み」が、この世界にはあることにもちゃんと気づいて、「はっ」としたり、「ぎゅっ」と涙をこらえたりした。
わたしはそこで随分と「大人」にしてもらったと思う。

そして、「憧れは憧れのままで」と、
『さまぁ~ず×さまぁ~ず』を含む「テレビ朝日」の公式サイトが、“スマホ最適化”されたのを無事に見守って、わたしは2016年にテレビ朝日を後にしたのだった。

……スマホ最適化、おっせぇ!

わたしの知る「大人」

そんな日々を超え、2020年。
兵庫と大阪を混ぜ合わせた訛りと、さまぁ~ず語をごちゃ混ぜにした、絶妙によくわからない言葉を使いこなしながら、わたしは今日も東京で、朝から晩まで働いている。
大竹さんが、
「寒いときには、上着を1枚羽織るよりおむすびを食べたほうがあったかい」
と言うから、わたしは仕事中寒くても、いつも薄着でおむすびをモリモリ食べているし、
「道なんて覚えなくても、大人だから」
と三村さんが言うから、わたしは東京に来て10年になるけれど、一切の道路の名前を知らない。
「246」も「外堀通り」も、そんなものが本当に実在するのかどうか。
未だに「かっこつけてる大人が言ってるだけだよ」という言葉を信じて疑わない。
だけれど「明治通り」だけは、すこ〜しなんとなく知っている。
なんか広い感じの賑やかな道が、明治通りでしょう。
それぐらいだ。

2020年、「日常」とは。

『さまぁ~ず×さまぁ~ず』がこの9月、14年の歴史に幕を下ろすという。

日常が、本当は日常なんかじゃなかったことを、
「当たり前なんてどこにもなかったんだ」ということを、
痛いほど知ったこの2020年に、突如として終わってしまうのだという。

急に真っ黒に日焼けして、出てくるなり「仕事だから!」とごちゃごちゃ話す2人も。
子どもの成長に涙した話を「へへへへ」と嬉しそうに話す2人も。
どんなくだらないゲームにも夢中になって、結局「相方の考えていることは全てお見通しなのだ」という自慢に変えてしまう2人も。
あと少しで見れなくなってしまうらしい。

日常って、ずっとずっとは続かない。
そんなことは、もう今年、嫌と言うほど学んだというのに。

もっと毎日を大事にするから。絶対に大事にするから。
「そろそろご褒美が欲しいなあ」と心の底から思う。
あぁあー、すっげえ、やんなっちったなあ。
なんて、まさか『さまぁ~ず×さまぁ~ず』のことなんかで涙がぽろぽろとこぼれる日がくるなんて、夢にも思わなかったけれど。

14年間、どんなときも変わらずに「あんな大人たのしそうだなあ」を続けてくれたこと、どれだけありがたかったか。どれだけ救われたか。
変な言葉を覚えてしまったせいで、あのあとどれほど苦労したか。
思えば、「東京」も「大人」も「友達」も「日常」も、全部全部さまぁ~ずだった。
「いいなあ」と願う先には、いつもさまぁ~ずがいる。
わたしは、さまぁ~ずが好きだ。

だけど、『さまぁ~ず×さまぁ~ず』が終わったって、
もちろん「さまぁ~ず」はずっとずっと続いていくんだから。

2人の、数日前のちょっとした話。
きっとまたどこかで聞ける日が来るんでしょう。
すこ〜し期待して、しばらく日常に恋い焦がれることにしようかな。
本当に本当にお疲れさまでした。

日常はきっと戻るよ、またいつか。



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