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「知らないもの」って、おもしろくないの?

わたしはよく、
「荒井注(あらいちゅう)のカラオケボックスじゃないんやから」
と言う。

すると、だいたい相手は「なに?(笑)」と聞き返すから、
「元・ドリフターズの荒井注は、ドリフ脱退後にカラオケボックスをやろうとしたんやけど、肝心のカラオケの機材がドアから入らへんくて、開店できへんかったのよ。だから、肝心なものは最初に段取らないと」
などと説明する。
相手は「なるほど」といった顔をして頷くから、わたしは満足だ。
大好きなエピソードで相手を説き伏せるのは気持ちがいい。

ちなみに、荒井注がドリフを脱退したのは1974年のことで、もちろんそれはわたしが生まれる10年以上も前の話。
わたしは荒井注がテレビに映ってるのを見たこともないし、そもそも志村さんが途中からドリフに参加したメンバーであることだって、中学生のころ、ラジオでケンドーコバヤシさんが喋っていたから知った。

だけど、荒井注が「何だ、バカヤロウ!」というギャグを持っていたことは知っている。
本物は見たことも聞いたこともないけれど、それでもやっぱり知っているのだ。

知らない=おもしろくない?

5月17日の「ワイドナショー」で、EXITの「かねち」こと兼近さんが、とてもおもしろいことを言っていた。

「(テレビは、)お笑い芸人がずっと最近まで中堅層の人たちが出ていた。だから若い子たちは、そのお笑いしか見れないから、お笑い界が廃れていってるように感じて。<中略> 喩え(に使うの)が、ドラゴンボールとか昔の芸能人の名前とかだからわからない。あとプロレスとか意味わかんない」

この発言を受けて、SNSでは大人の年齢の人たちが「たしかにそうかもな」と言ったり、若い人たちが「そうだ!」と同調していたりした。
だから、若者はテレビを見なくなったのだ、と。

本当にそうだろうか?

これは、兼近さんの感じ方だから、ひとつの捉え方として、もちろん「間違い」などあるはずはないことを前提として、「お笑いは、中堅層の古い喩えのせいで廃れていった」という考え方は、この先のテレビを救うヒントになるだろうか?

まず事実として、ここ10年で急激に若年層のテレビ視聴は減っていることは間違いない。
テレビを1台も所有しない世帯も、やはり事実として増えている。

そして、いわゆる(定義がとても曖昧だけれど)2018〜2019年のお笑い第7世代(例:霜降り明星・EXIT)の台頭以前、「若手芸人」としてテレビに出演している人の多くは35歳オーバーで、40代に突入してもまだまだ、上の世代(例:フットボールアワー・ブラックマヨネーズ)、そのまた上の世代(千原兄弟・雨上がり決死隊)、そのまた上の世代(今田耕司・東野幸治)、の先輩(ダウンタウン)の先輩(明石家さんま)の上のレジェンド(西川きよし、坂田利夫)までいるので、
「まだまだ20年目の若手です」
というような紹介が通例になっていた。

20代の若者の多くは、事務所のライブに出演しながら、「賞レースの決勝に残る」という出口を目指して、「鍛錬」や「アルバイト」に時間を費やしていたようにも思う。

「若手だ、若手だ、と言いながら、中堅以上しか出てないじゃないか!」
という現象が長くあったのも、間違いなくやっぱり本当だ。

だけど、「若年層と演者の年齢差が大きい」せいで、
会話に出てくる固有名詞を若い視聴者が「知らない」として。

その喩えや、それを良しとするお笑いが「古くなった」のだろうか?
そうでなく、わたしは、その「知らない=おもしろくない」と感じる感覚が、とっても「新しい」のではないかと思うのだ。

1990年代のこと

先に話した荒井注のことをわたしは知らないけれど、島田紳助さんが
「荒井注さんのカラオケボックスみたいになったら困るから、急いでタンスの横幅を測ったんや」
と言ったとき、小学生のわたしはそれを「おもしろくない」とは思わなかった。

名前をよくよく覚えておいて、炊事を済ませた母親に「荒井注って誰やっけ?」と尋ねた。
母はカラオケボックスのエピソードを知らなかったけれど、運よく父が知っていた。
そのときわたしは「ああ、助かった」と心の底から思った。

わたしにとって、「知らない」は「もったいない」だったからだ。

知らない=恥ずかしくて、もったいない。

あの頃、誰もが日本中で同じコンテンツを同じように消費した。
月曜日には、HEY!HEY!HEY!を見るし、
「昨日のあれ見た?」といえば、「笑う犬のウッチャンおもろかったなあ」と続いた。
「かっこええよなあ」といえば、それは間違いなく「J-FRIENDS」に所属している誰かであったし、中学に上がれば「嵐かジャニーズJr.の誰かから選ばなければいけない」のがルールであって、他の名前を言う隙はなかった。
みんなが見ているテレビ番組を「見逃す」ということは「失態」であったし、最大の「恥」だった。

その傾向はきっと、遡れば遡るほど、もっともっと色濃かったはずだ。
70年代や80年代の大衆向けの「コンテンツ」とは、まさにそうであったろうし、「知らなくていいもの」などなくて、多くの人は「わたしに関係のないこと」という感覚をエンタメに対して持つことは少なかったのではないだろうか。

高校生にもなると、「インターネット」「SNS」「ダウンロード」というものが日常に混ざり、やがて溶け込んでいって、多少の「細分化」を感じた。

だけど、「みんなが知っているもの」というメインストリームは間違いなく存在していて、そこから少し外れたものを掘り下げて極端に愛する「マニア」「ヲタク」はいるのだけど、彼ら彼女らも「浜崎あゆみ」が腰によくわからないファーをつけていることは知っている。

そして、ラジオで、ケンドーコバヤシさんが
「陣内(智則)は、『クッキー』ばっかり歌うのよ」
と言うから、わたしは翌日自転車を漕いで、尾崎豊のアルバムを近所のレンタルショップまで急いで借りに出かけたし、
ケンドーコバヤシさんが越中詩郎のモノマネばかりするから、わたしはプロレスラーの名前もたくさん覚えなければいけなかった。
「今流行っているもの」と同じように、上の世代の人たちが「知っていて当然」として話すことを、わたしは夢中で掴みに行っていたのだ。

お気づきかと思うけれど、わたしの知識の源はほとんどケンドーコバヤシさんであるから、やっぱりこの辺りから、わたしは細分化の末に、多少「はぐれ者」になっているようだけれど、
とにかく「知らないもの」を「おもしろくない」と感じる感覚はそこにはなくて、「知らないもの」に出会うたび、「なにそれ!もっと知りたい!」と自転車を漕ぐのが常であった。

「アメトーーク」という構造

「アメトーーク」という、ヒットソフトは2002年に誕生したけれど、最初はただのゲストを交えたトーク番組だった。
2004年の「メガネ芸人」を機に「くくり芸人」というシリーズに踏み込んでいくけれど、初期の人気回といえば「ガンダム芸人」や「越中芸人」など、「マニアック」で「コアファン」を抱えるコンテンツを題材にしたものだった。

ガンダムやプロレスに熱烈なファンが一定数いるのは周知の事実だけれど、誰もが「よく知っているもの」「メインストリーム」ではないはずだ。
では、なぜそのような回が視聴者の心を掴んだのか。
あの番組の初期の構造は、「知っていれば尚面白いし、知らない人はあまりにも知らない話を夢中で話す演者たちがおもしろい」というもので、今のように懇切丁寧に「一緒に勉強して、あなたも好きになりましょうね」と説明はしてくれなかった。
それが、たまらなくおもしろかったのだ。
「はぐれ者」も見て楽しむ感覚。
もちろん演者の技量も大きかろうけれど、今のように、「知らないものはおもしろくない」、と感じる感覚が一般的であったとしたら、もしかするとアメトーークのやり方は初動でつまづき、このヒットの道を走ってこれなかったかもしれない。

「媒介」になる

もうひとつだけ例を挙げると、昔、大阪に「ストリーク」という漫才コンビがいて、彼らは「阪神タイガース」のユニフォームに身を包み、「阪神タイガース」の話ばかりしていた。
「阪神タイガース」の選手の名前でボケ、「阪神タイガース」の選手の名前を使ってツッコむ。
野球に疎いわたしは何が何やらわからなかったけれど、やっぱり大笑いしていた。
知らなくても、「知らないことを言っている人たち」はおもしろいし、「なぜ、もっと広いマトを狙わないのか!(笑)」と思うと愉快でしょうがなかった。
だけどやがて、ツッコミ担当の人はユニフォームを脱いでスーツを着るようになり、「阪神タイガース」の選手の名前でボケる相方に対して「誰やねん、その投手!知らんわ!」と言いはじめた。
彼は、客との媒介役になったのだ。
そして2012年に解散して、今はもう居ない。

つまみとって食べる時代

今、突き放されて鍛えられた世代が大人になり、細分化のあとに青春時代を迎えた若者達は、媒介役の「説明」を聞くことさえいよいよ面倒になって、やがて「好きなものだけ」「評判がいいものの、いいところだけ」をかいつまんで摂取するようになり、「知らないもの」の楽しみ方を知らなくなって、「おもしろくない」と感じるようになった。
コンテンツ自体の量が圧倒的に増え、「知らなくてもいい自由」が生まれたとも言えるだろう。

ちなみに、わたしと「かねち」の年齢差は4つで、同じ「ゆとり世代」でもあるけれど、やっぱりそこには大きな壁がある。
会社の同僚の4つ下の子がやはり「世代じゃない」「知らない」と口癖のように言うのを見ても、この1990年あたりを境に、見えている世界がグニャリと変わっているのではないかと思う。
兄弟のあるなしや、親とのコミュニケーション、環境の違いによって、もちろん差はあるのだけど、我々世代の「ほんの1年」「2年」は、それ以前と比べてかなり大きな「世代差」を生んでいるようなのだ。
4歳年下のかねちよりも、15歳年上のケンドーコバヤシさんに親近感を覚える不思議がここにある。
だけど、「コンテンツ」のカルチャーは、きっと世代で分断されているのじゃない。その人が身を置いている環境や好みによって、ラーメン屋の「一蘭」のように今、ひとりひとりのスペースで完全に分断された世界を、みんなが生きはじめているのじゃないかなあと思う。
登場年が古いから知らないのじゃない。
興味がないから知らないのだ。

そしていま、「知らないもの」は「おもしろい」のテーブルに乗ることがとても難しくなってきた。
つまり、「知らないもの」を届けることは本当に難しいのだ。
だからこそ一蘭世代の広告は苦労をするし、お笑い芸人は年々少なくなっていく共通言語の中から、そのセンスと嗅覚で「ちょうどいい塩梅」を探し当てなければいけなくなった。

これからの届け方

「知っていること」の多様化はこれからもますます進むし、ひとりの人間の「知っていること」の幅はきっと狭くなっていく。
それは何も若年層に限らず、きっと誰もがそうだ。
そのぶん、深くもなっていくし、たとえば自分から遠く距離のあることも興味を持ったならしっかりと知ることができるようになった。
そして、知らせたいことは誰もが発信できる。
ちっとも悪いことばかりじゃないはずだ。

「知らないこと」=「おもしろくない」という新しい感覚の中で、わたしたちはこれからもコンテンツを届け続ける。
だけど、「アメトーーク」の根強い人気を見ていると、どうやら、やり方・届け方や、そのアップデートの方法はいくらでもあるようなのだ。
だって、事実、2020年5月7日の放送は「プロレス大好き芸人」で、やっぱり今回もケンドーコバヤシさんは長州力の話を披露して、若い観客を前に爆笑をとっていたのだから。

過去の話をしてはいけないのじゃない。
中堅芸人の話がおもしろくないわけでもない。
きっと、知らないことって、別におもしろくないわけじゃあない。
「知っていること」の細分化、多様化が進んで、
若い人が今、「知る」の入り口で拒絶反応や消化不良を起こしやすくなったという事実だけがここにある。

そして「お笑い」は、誰のテーブルにも乗りやすい「わかりやすいもの」がウケるようになったけれど、深く愛されているものがどんなものなのか、長く愛されるものはどんなものなのかについては、まだまだちょっと考える必要があるようにも思う。

いずれにしても、「同じもの」を夢中で掴みにいく時代が終わったのだ。
多くの人の目に触れたいならば、そのときどきに合わせて、ちょうどいい、口に入るサイズで届ける力が試されるようになった、ということなのだろう。
編集力の時代がやってきた。
かねちの言うように、「知らなくても笑えよ!」「自分で知れよ!」というのは今の時代、あまりにも乱暴だし、努力が足りないと思われてしまうのだろう。
そぐわないサイズを無理に押し込めようとすると、ろくなことがないということだ。ちなみに「荒井注のカラオケボックスじゃないんやから」は、こういうときにも使える便利な言葉なので、荒井注のことは知らなくたって、やっぱりおもしろいエピソードだなあ、とわたしは未だに惚れ惚れとするのだ。

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