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【エッセイ】いじめ。
こんばんは。
自分に起こった話を書いていて、それって読み物として面白かったんだろうか?と考えたりしています。
どうせなら、誰かの役に立ちたいものです。と言うことで、今回は自分が受けた体験を書いていきたいと思います。
いじめを受けた経験がある方は、きっとたくさんいると思います。そのどれも、比べ物にはならないと思うし、人の経験をじゃあ自分はいかせるのかと言ったら、また別の話になりますよね。
それでは、私が受けた中で、1番酷かった話を書きます。
これは、私が小学5年生の頃の話です。クラス替えがあり、新しいクラスにもまだ馴れない頃、部活をどうするかと言う話が先生からありました。
私は、当時仲の良かった友達と相談して、バレー部に入ることにしました。
その初回は、チーム分けをどうするかという話し合いでした。私は、バレーは一切やったことがなかったし、自分からハキハキと発言するタイプの人間ではないので、流れに任せて、入れてくれるチームがあればくらいにしか、考えていませんでした。
チームは、当然先輩である6年生が仕切っていて、はないちもんめのように、好きな生徒を選んでいく感じでした。
私の友達は、あるチームに選ばれたので、付いていこうとした時です。
ある先輩女子生徒(部長)が言ったんです。
「ブスはこっち来るな。」
と。それは私を指した言葉でした。友達も私も、唖然としてしまいましたが、私は勿論そのチームには入れてもらえませんでした。
副部長もそれに賛同して笑っていました。とても、部活に参加出来るような雰囲気ではありません。
それが、衝撃的過ぎて、私も友達も学校に行けなくなりました。
私は、毎日学校の時間になると腹痛を起こしてしまう日々。けれど、単身赴任の父親とパートをしている母親からしたら、学校に行かない私が許せなかったんだと思います。
無理矢理学校に行かされ、具合が悪くなり授業中にトイレに駆け込む、それの繰り返しでした。
トイレに駆け込んだあとは、大概保健室に行くのですが、保険室の先生からも煙たがられ、結局家に帰るしかありませんでした。
親は、部活の先輩からそう言われたことを学校に訴えました。友達の親御さんも、同じことをしました。
しかし、学校から帰ってきた言葉はそんな言葉は言っていないとい回答。
部活の顧問は、以前担任をしてくれていた先生でしたが、今は6年生の担任だったので、自分の立場も考えると、そう言わざる得ない状況だったのかもしれません。
私は、とうとう登校拒否から拒食症になってしまいました。それでも、母親からは食べなさいと言われるし、単身赴任の父親がたまに帰ってくると、学校に行けと物で殴られたものです。
身長150センチ後半で、体重は20キロ台とかなり痩せていたと思います。
この頃から分かったのは、両親であっても他人なんだなぁと言うことです。味方にはなってくれないんだと。
今なら、学校に対してそこまで重きを置かない時代かもしれませんが、確かに当時じゃあり得ないことだったのかもしれません。
私のそれは、彼女たちが卒業するまで続きました。
卒業した後も、学校に行っては具合が悪くなる日はよくありました。
でも、分かってくれる人は誰もいないし、行かなければまた両親から怒られるので、だましだまし通っていました。
中学生になり、またその先輩たちは勿論学校にはいましたが、私は運動系の部活に所属することはやめました。また、あんな思いをしたくはありませんから。
逆に、私がクラスで行ったのは、群れに所属出来ない人たちでグループを作り、その子たちの居場所を確保することでした。
私は、これを中学卒業するまで続けました。しかし、その人たちと誰1人今は繋がっていません。
ありがたいことに、それ以降現在までブスと言われることはありません。だから、今考えるとそれは、妬みや僻みからきた、拙い拒否の言葉だったのかもしれません。
けれど、そうだったとしても、言われた側には一生その言葉は消えないのです。
でも、いじめられたからと言って、自分の人生を投げ出すのもいけません。学生の頃は、そこの人間関係が全てだから、終わったと思うでしょう。
けれど、実際学生の頃の人と社会人になっても尚、繋がっていることは稀です。その狭い世界しかないから、不安になるのです。
どうか、今、もしいじめられて苦しんでいるなら、そこから逃げても構いません。ただ、自分だけは自分自身を見捨てないであげてください。
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