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共同親権

まず僕の夫婦間にまだこどもはいません。
だから知った風な口を利く失礼な存在だと思われても仕方ないと思ってる。

共同親権を考えるに辺り、誰も傷付けたくないとは思う。
ただ、それは理想であってこのようなことを発信すればどこかで傷付く方もいるのは事実。

それでも発信するべきだと思った。
何故なら子を想う親心を少しは理解しているからだ。

単独親権の日本は、こどもに会いたくても会えない方もいます。

夫婦間での問題。
当人同士はいがみ合っていても、殆どの方がこどもの幸せを願っている。

その想いを伝えられない人もいるし、不器用に表現出来ない人もいる。
だからといってDVなんてもってのほかだが、その場合は選択の一つとして単独親権の現況を利用し、あくまでもこどもに選択肢を増やしてほしいとは思う。
ただし虚偽もまた暴力だということは理解してほしい。

考えるにあたり、こどものころの自分の主観はどこにあるのかを思い出していた。

僕が特に父の愛情に気付いたのは、兄を亡くした時。
それまで父のことが嫌いだった。

幼少期、父のことを周りから聴かれたらこう話していた。

「ビール飲んで寝てる。」

それだけの印象。

家族旅行にはなぜか父の飲み友達が付いてきていて、お酒が無いと本音を語らない。
浮気、借金、亭主関白で母をあごで使う、外では呑んで喧嘩ばかり。

そんな生活が続けば夫婦喧嘩も起こる。
いつしか父が出ていったとき。
それでも一緒にいてほしいと兄と手紙を書いた思い出がある。
その手紙について父は一切語ることはない。

母が夜な夜なつける家計簿の有り難みを感じた。
おかげで家庭環境はともかくお金のことの苦労はなく、能天気に暮らせたから。

兄がずっと母の愚痴を聞いてくれていたが、兄が一度家を出た2年間その役割は代わり、先述した色々な話を母から聞かされた。

僕は母に
「もう僕らも迷惑がかからない歳になってくるから、離婚しても良いよ。」
そんなことを話した。
それが幸せだと思っていた。

そんな父を愛おしく思えたのは、祖父との縁を切り人知れず亡くなった話を聞いた時、そして兄を亡くした時。

泣かない人だと思ってたけど、初めて父の涙を見た。
特に兄がいなくなった時は精神が崩壊しかけていた。

それからはまるっと人が変わったかのように泣き、自分を責めるようになった。

それまでは自己中心的な父だと思っていたのだが、後に一緒にお酒を飲む中打ち明けてくれたことがある。

父の過去。

父の小さい頃、祖父は生家を突如離れた。
良き家柄にも関わらず長男である祖父が家業を放棄し家を出たのだ。
その際、祖母とは離婚をし長男の父は1人生家に残された。
肩身の狭い生活を余儀なくされ、中学卒業から生家を出て働いた。
働くことが親の在り方。
実の父と母が働く姿すら見ないままの幼少期を過ごしたことからお金を家に入れることだけが親としての役目だと思い、こどもながらに親と遊ぶということがあまりわからなかったと。

祖父は、お金に困ったときだけ父を頼った。
祖母は親権を生家にとられ泣く泣く引き下がった。

生きている間、
実の息子に会えず父が62歳の頃、母が亡くなったことを初めて知った。
ずっと父のことを想っていたらしい。
異父の妹が見つかり今、父と交流したいと言っているが、不器用から合わせる顔がないと言い一度しか会えていない。
離れてから60年以上経っていて初めて見た遺影の祖母は父にそっくりだった。

自分もまた、親と遊園地や動物園に行った覚えがない。
代わりに叔母や義叔父に連れて行ってもらっていたからこそ気づかなかったこと。
そういった意味では恵まれてるのかもしれない、そう感じるようになった。

そんな辛い幼少期があって、すこし曲がってしまうこともある。

それでも自分なりに生きてきたという自負。

どんな辛い状況でも1人で生きてきたという心。

負けん気の強さと不器用なところは、育っていた環境の中で培っていて。

こどもの愛し方さえ不器用だったのだが、そんな父に謝られた。
そしてなにより自慢の息子たちだと泣いてくれた。

自分はいま両親を愛しく想っている。


単独でお子さまをみる状況というのは仕事、家事、育児、全てをやるわけだから余程大変なことだと感じて。
その苦労は心底きついんだと思う。
シングルの知り合いもいるが到底真似できないほどの毎日を過ごしている。

その苦労を選んでるとしても、
離婚は夫婦間での問題。

別れることはとても大きな理由があるのだろうが、そこは当事者同士が理解していると思う。
親権は家柄によっても移る可能性はあるかも知れない。
こどもの感情は置いてけぼりに離婚が成立し、単独親権を得た者が子を育てる。
夫婦間での事情や感情に決められたレールに乗るわけで。

思うことは育てられてるのはこどもだけでなく、親も育てられてるいうこと。
そこから学びを得ていると感じている。

個人間の感情で疎外するべきではなく、その機会をお互いに持ち合わせるべきだと思う。

自分の父のルーツを知り、改めて共同親権に変わるべきだと感じるし、会えなくて親としての在り方がわからない父や会えなくて実子を思い続けた祖母の存在を大事にしたいと想った。

自分はこどもがいない。
けれどそれでも発言しなければいけないんだと思う。
わからないからこそ語らなければいけないことがあるんだと強く想った。

考えるきっかけを与えてくれてありがとうね。

サポートしていただきましたら、規格外の花を使ったドライフラワーを活かした活動を広げていきます!!! よろしくお願いいたします😌