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【連載小説】吸血鬼と雪女

 目を瞑ったまま感じる温もりを逃がすまいと、柔らかな毛の束を肩まで引き寄せる。卵を孵化させようと必死になる親鳥の感触を彷彿とさせる手触りだ。敷き布団も掛け布団も毛布もみな柔らかく優しい。目を開けることが惜しくて頭のてっぺんまで毛布を被る。瞼の裏が暗くなり安心していると、ドアが開く音がした。思わず背を向けるように寝返りを打つ。足音がベッドの前で立ち止まった。
 「子どもができたとしたらどっちになると思う?」
 頭の上に質問を投げかける声は淡々としている。寝たふりをしたいが起きていることはバレている気がする。気にならない?、と囁くような声量で続ける彼女に応えるようと、毛布から顔を出し芋虫のようにうごめきながら向き合った。
 「それは男か女かってこと?」
ぼくは女の子がいいけど、と付け加えると「違う」と間を置かず返された。相変わらずの無表情だ。
 「吸血鬼になるか雪女になるかどっちだと思う?」
 「ああ、そういうこと」
 「私は雪女になる確率が高いと思うの」
 正直、寝起きの回らない頭で難しいことを考えるのは無理があった。生物学の授業を思い出そうとするも切れ切れでほとんど記憶がない。どうして?と理由を聞くことで誤魔化す。
 「私の方が血が濃いもの」
 「それはそうだね。僕は半々だからな」
 「それがいいのか悪いのかは分からないけれど。もし中間を取ってしまってどちらの餌も必要とするなら不憫でしょう」
 最もだ、と思う。僕達はエネルギーとなるものが特殊だ。物語の中にしか出てこない、不確かな存在の血が混じっているからだ。僕は吸血鬼で、彼女は雪女。知られている通り、吸血鬼は血を糧とする。雪女は精気を吸うことで生命エネルギーを得る。
 しかし僕は吸血鬼といえどもその血の影響は半分らしい。しかし彼女は雪女そのものといっても過言ではないのだという。だから血の濃さで言うと雪女に分がある。
 「両方の、っていうのは確かに可哀想だね」
でもさあ、と加えて上半身を起こす。
 「僕らに子どもできるの?」
彼女は目を見開いて、首を傾げた。長く艶やかな黒髪がさらさらと流れる。
 「あなたは勃起不全なの?」
 「違うよ!」
 不本意な疑いをかけられて思わず声量を上げた僕に、彼女は無邪気に「異種間だと交尾や妊娠が不可能だということ?」と追撃する。ようやく体を起こした僕はベッドの端に座り、彼女の白魚のような両手を自分の胸の前で包む。
 「よく考えてみようか」
 彼女は黒曜石のような瞳を僕に向けながら、僅かに訝しげな表情を浮かべた。
 「ごはんはまだ?一緒に食べながら話そう」
 立ち上がった僕と彼女は寝室を出る。リビングに降りると柔らかい日差しがレースカーテンの隙間から注いでいた。

 ゴールデンウイークが終わると、教室の中には気だるげな空気が混じる。
 皆長い休日からの再会を喜んでいるように見えるが、内心クラスメイトと会わなくても全く構わないと思っているものも多数いるのではないかと予想する。まず僕がその一人だし、お喋りをし終えた女子は早々に席に戻り携帯をいじり始め、男子は初めから机に突っ伏していびきを搔いていたりする。
 ふと窓際の一番後ろの席を見ると、藤原さんが本を読んでいた。
 いつもと変わらない風景だ。彼女はいつも教室の隅で静かに座っている。最近大きめの地震があった際も、皆が机の下に潜る中、ただ一人だけ動じず席についていた。クラスの中で密かに囁かれている彼女のあだ名は「幽霊」。腰まである黒髪と血の気のない肌が彼女をそう印象付ける。しかし彼女が浮いているのは、もっと決定的な欠陥があるからだ。
 僕は藤原さんの3つ前の席を立ち、一緒に駄弁っていた陸の腕を掴んだ。陸が「またかよー」と声を上げるのを無視して藤原さんのもとへ行く。
 「藤原さん、そういうの学校に持ってこない方がいいよ」
 僕の声に反応して顔を上げる。彼女の顔面の造りはとても整っている。誰が見ても美人と言うはずなのに、手に持っている文庫本には1ページに1枚はっきりと春画が描かれている。表紙にも裸の男女があられもない姿を晒しているので、見るものは破廉恥な本を読んでいると確実に思う。僕も思っている。藤原さんの大きな瞳で見つめられた僕はいたたまれなくなり、陸に応援を求め視線を送る。
「藤原また没収されるぞ」
陸は腰に手をやり男らしく言い放った。
「そう」
藤原さんは短く返して本を閉じ、それを鞄の中へしまった。「そういうのは家で読めよ」と言いながら自分の席へ歩いていく陸を見送り、再び藤原さんの方へ振り向くと、彼女は窓の外を見ていた。
「眩しい」と微かに呟いた伏し目がちな横顔を見て、寂しそうな表情をする人だと思った。 

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