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ヒューマンエラーは人間の業(2015年JAT発行「翻訳者の目線」寄稿)

「久松さん、落ち着いて聞いてください。p13の写真にマルCが入っていません」クライアントの電話はこう始まった。そんなはずはない、と急いで最終ファイルを開けた瞬間、呼吸が止まった。
  企業広報誌の編集作業において、ある写真を掲載しようと関係団体から借りた。画像使用の条件として、許諾書に従って画像にコピーライトマークとそれに続く団体名を入れた。原文の日本語版にそのマークと団体名が入っているのは確認してあった。だが、自分が担当している英語版には入っていない。
 転記ミス、翻訳モノ特有の事故だ。作業をしたのはデザイナーだが、チェックするのは編集担当者、つまり自分の役割である。「起こしてはいけない」エラーを起こした当該誌は刷り直しとなった。
 その数日後に偶然、JTF翻訳セミナー「あなたの翻訳は大丈夫?~翻訳者による品質保証を考える~」(講演者:齊藤貴昭氏)の予定を入れていた。受講してみると、このセミナーは、翻訳の品質の中でも作業チェック、すなわち「ヒューマンエラー」対策に焦点が合わせてあった。今回の刷り直しの原因は「数・記号の転記ミス」であり、まさにヒューマンエラー。これ以上はないタイミングでの受講だった。
 ならばセミナーで教わったことを実践してみよう。今までのヒヤリハットを覚えている限り洗い出し、どのようにすればそれが防げるか、防げたか、改善策は何か、などを考えてみた。これをまとめて作業の方法やプロセスごとの注意点を細かく記した「ヒューマンエラー撲滅シート」を作成した。
 それにもかかわらず、3カ月後にまたも重大ミスを引き起こしてしまう。今度はテキスト抜けだ。自作シートのプロセスを守っていれば、ありえないエラーだった。
 何時間もかけて考え、記載し、このとおりやろうと決めたプロセスを疎かにした結果がこれだ。普段のPC ではなく異なる環境でチェックをしたことも、ミスを生んだ原因のひとつだった。
 いつもの環境でないならばなおのこと、地に足をしっかりつけて、プロセスを守る必要があった。それなのになぜ守れなかったのか。
 刷り直しを起こしてから読んだ本の一冊に、河野龍太郎著『医療におけるヒューマンエラー』があった。生命に関わる単純ミスがなぜ起こってしまうのか、それを防ぐためにはどういう対策が必要なのかが、心理学とヒューマンファクター工学に基づいて記載されていた。
 ミスを心理面から分析する解説に引き込まれ、むさぼるように読んだ。そうだった、なぜ守れなかったのか、その理由に心理面からアプローチしてみよう。例えば、シートを階層の深いフォルダに置いていたのか。確かにそうだけど……。いや、そんなことじゃない。このシートを見ると自分のミスを思い出すのがつらく、無意識に開けないようにしているのではないか。
 まさにそのとおり。シートを見るたびに刷り直しの悪夢がよみがえる。反省しようという当初の気持ちをいつの間にか置いてきてしまっていた。忘れたい記憶を呼び覚まされるのに耐えられず、シートの存在を消そうとしていた。的確なプロセスを踏むことができずにミスを繰り返したのは当たり前だ。
 ミスの最大の原因は、自身のメンタルの弱さ。だが、これは直せるものなのか。どうすべきなのか。ここは自身との面談が必要だった。
このシートを作ったのは何のためか。自分はどうしたいのか。そもそも、何のためにアウェー業界の編集プロダクションで修業しようと決めたのか。何のスキルを身につけたかったのか。自問自答を繰り返し、ひとつひとつノートに埋めていった。刷り直しで受けたダメージがどれだけ大きかったのか。次からは繰り返さないために作ったファイル
のはずだった。
 そう、シートには表形式でこんなことを記していた。

●ミスの発生しにくい翻訳環境を作る(PC のファイルを整理する、など)。
●作業前にミスの発生を防ぐ工夫をする(資料関係の保存、確認のプロセスを決めておいて、それを守る)。
●作業中のミスを最小限にし、さらにミスに気づけるようにする(どこに何を置くのかを決めて、それを守る。「集中して行わねばならない作業」について、体調が悪いときも、精神的に不安定なときにも集中できるように、条件を細かく設定しておく。自分の集中力が持続する時間の限界も知っておく)。
●ミスを発見しやすくする(チェックリストを作成する、外部校正者を入れる)。

 そう、自身の性格を踏まえてカスタマイズした処方箋だ。きちんと守れば必ず効果はある。自身との面談が功を奏して、それ以来シートを活用できるようになった。
 そして現在、肝心のミスは減ったのか。あれ以来、重大ミスは出していないが、細かい間違いはまだまだある。人間の業だから仕方ないのかもしれない。それでも、ひとつでもエラーを減らそうとあがく。今週のやることリストに「ヒューマンエラー撲滅シート」の更新を入れておこう。

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タイトルに記したように、これは8年前、業界誌に寄稿した記事である。このときは編プロにいて、1回刷り直しを出したあとで、別のミスを起こしていた。
 自分以外に英語がわかる人がいないという状況で「校正者を入れられるはずない」と思っていた。
 でも、よく考えてみたら英文は原稿段階から自分が何十回も確認しているが、「それ以外の要素」を見る人が誰もいないのだ。
 つまり、「英語以外」の箇所を見てくれる校正者が必要だとわかり、「言語スキルは日本語のみだがプロの校正者」を入れることにした。
 すると、ミスがぴたっとなくなった。校正者ってすごいなぁ、と思ったのはそのときだった。その8年後に自分が校正者として生計を立てているとはまったく考えていない頃だった。
あれからわたしはは進歩しただろうか。とくに「心理面」は克服したのか。もう一度『医療におけるヒューマンエラー』を読んでみよう。当時は気づかなかったヒントが記されているかもしれない。

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