サパン・ド・ノエル(仏語)= クリスマスツリー(英語)を飾ってみた。

第二回目ロックダウンを、「ノエル(クリスマスの意の仏語)」を理由に部分的に解除したフランス。
と同時に、「サパン・ド・ノエル」の販売も始まった。

例年、「置く場所がない」のと「たった1カ月のために切られる木がかわいそう…」という二つの理由でサパンを飾ってこなかった私と夫だが、今年は家を買ったし、流れ的に今年のノエルは義両親を呼んでわが家ですることになりそうだから、例外的にサパンを買った。

フランスで、サパン・ド・ノエルがどのように売られているかご存じだろうか。
園芸店に行くと、こんな風に売られている。

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サイズは1mをきる小さいものから、2mくらいまで様々あって(高さの分、直径も違ってくる)、自分の家に合うサイズのものを選ぶ。
高さ2mとなると、葉の直径は1.5mくらいになるのでけっこうなボリュームである。(写真左側奥のもの)
私たちは高さ1.5m、直径1.2mのサイズを選択。
そして夫氏が一言。

「人生の中で一番小さいサパンだなー。」

(;゚Д゚) え…?

そんな夫氏は放っておき…。サパン販売担当の人が選んだサイズのサパンを持っていき、

こんなドラム缶に

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こうやって突っ込んで

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こんな風に網掛けしてくれる。

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(これは自宅に運びこんで撮影)

フランスでこれを見た友人が「こんな風に売られてるの?!」って驚いていて、そういえば、私も最初は驚いたなー(遠い目)とか思ったり。
ちなみに、網掛け済なものも販売されているが、枝ぶりやサイズを確認するために、だいたい広げられたものから選んでいくことが多いと思う。

網を外し、上向いてしまった枝を整えて、オーナメントとライトを飾り、先端に星を飾って…

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…地味!地味すぎる!!!
濃紺のオーナメントの目立たなさが際立っている…!
私も夫も、赤、緑、ピンク、金・銀など色とりどりなオーナメントがてんこ盛りなサパンにはしたくなかったが、、、ちょっとこれは、あれ?

ということで、わが家の「シックなサパン・ド・ノエル」は完成した。
今後気に入ったオーナメントが見つかれば徐々に増やしていくかもしれないけど、現状はこれで完成とする。
「シック」と表現してくれた友よ、ありがとう…(涙)

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<サパン・ド・ノエルのいろいろ>

フランスでは毎年約500万本のサパンが販売され、仏家庭の約20%で飾られることになるのだそう。年間1億ユーロ(125億円くらい)の市場だそうだ。

そしてフランスでは「サパン」と呼ばれるマツ科モミ属の木と「エピセア」と呼ばれるマツ科トウヒ属の木の2種類が販売されるが、現在はほぼ「サパン」ばかりである。
というのも、「サパン」のほうが葉先が丸まっているので取り扱いが簡単だし、恐らくサパン・ド・ノエルがある家庭は小さい子供がいることが多いだろうから、ある意味安心なのだろう。
かわって、「エピセア」の葉は、短いが葉先が松と同じくとがっているので、取り扱いが面倒くさいというか、単純に痛い。
そして「サパン」には約50種類ほどあるそうだが、地中海側の種類に分類される「Nordmann」種が、サパン・ド・ノエル用として主に販売されている。切られた後も葉が落ちにくい上に深緑色を保ち、かつ乾燥に強い種類であるため、屋内観賞用に向いているのだそうだ。
この点においても、エピセアの緑はやや薄く、枯れると茶色くなってすぐに落葉するので、どうしても劣ってしまう。
ただ「香り」だけはエピセアの方がダントツに良いので、暖炉に火を入れたらエピセアの芳香でリビングが充満するだろう。

また、歴史的には「エピセア」の方が正しいのだそう。

紀元前2000年-1200年頃には、すでにエピセア(実際には、「誕生の木」)が見られ、太陽の復活を意味していたのだそう。ケルト系民族が太陰暦を用い、太陰暦の各月に木を当てはめ、12月24日に相当していたのが「エピセア」とのこと。
エピセアの実はかなり大きいし、わりとたわわに生るので、それが多産や誕生と結びついたのだろうか…?

その後、7世紀終盤に現在のドイツに現れた福音修道士「聖・ボニファス」が、ゲイスマール近辺(ケルンやドルトムントから東側)での宣教活動の際に、オークの木は神聖ではないとし、1本を切り倒し、「切り倒されたことで、その木が出来た道のりは全て踏み倒される。若いサパンを除いては。」と語ったところから伝説が始まり、ドイツではサパンの若木をキリスト誕生を祝って植えるのだそう。

その後12世紀ごろに、この「ノエルの木」がフランスのアルザス地方で定着する。赤い実(リンゴ)をたくさん飾った「ノエルの木」は「天国」の象徴だったそう。
また14世紀には、ノエルの木のてっぺんに星を飾る習慣が生まれ、この星は「ベツレヘム=キリスト生誕地」を意味し、その後各地に広まったのだそう。ベツレヘムはイスラエル(現在はパレスチナによって統治されているが)にある為、本来はオクタグラム(八芒星)が正しいらしい。
あ、イスラエルはユダヤで国旗はヘキサグラムか(汗)

「ノエルの木」という言葉での表現が最初に使われたのは、1521年(16世紀初め)。そしてプロテスタントがカトリックとは違うことを示すために1560年頃からサパンを飾る伝統を広めていったとのこと。

17-18世紀には、ろうそくでサパンを飾ることが始まり、1738年にルイ15世の妃・マリー・レクザンスカ(ポーランド人)がヴェルサイユ宮殿にサパンを飾ったのだそう。
(あれ、フランスはカトリックだよね?)

1837年、オルレアン公爵夫人でドイツ人のヘレーネ・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーンが、チュイルリー宮殿にサパンを飾った。
そのころのフランスは第二次王政復古で、且つ、1830年にブルボン朝からオルレアン朝になり、オルレアン公はフランス王ルイ・フィリップ1世の息子である。つまり皇太子。ちょうどその年にオルレアン公と結婚式を挙げたそう。

そして第三共和政が成立した普仏戦争後の1870年に、ドイツに割譲されたアルザス=ロレーヌ地方からの移民によって、フランス全土にサパンの習慣が広まったのだそう。
(注・アルザス=ロレーヌ地方は現在はフランスの一部だが、ドイツとの国境の地域なので割譲された歴史があり、勝手な印象ではアルザスの雰囲気は8割フランス2割ドイツという感じである。)

あれ、で、エピセアはどこ行ったの?というか途中からエピセアとサパンがまじりあってきたような…。

そんなノエルの歴史と、サパンとエピセアの違いを振り返る師走初日。
意外とサパン/エピセアの歴史の方がノエルよりも長いのね。

あと1カ月で2020年も終わりかー…。

参照・出典
http://biologie.ens-lyon.fr/ressources/Biodiversite/Documents/la-plante-du-mois/sapin-ou-epicea-de-noel
https://www.noel-vert.com/sapin-de-noel/histoire-du-sapin/#:~:text=A%20chaque%20mois%20lunaire%20%C3%A9tait,rivaliser%20avec%20cette%20f%C3%AAte%20pa%C3%AFenne.

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