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チェロ弾きのためのエッセイ〜諸行無常の響きあり〜

久方ぶりの投稿です。

最近、手の感覚に特に意識を向けるようにしています。
というのも、弦楽器奏者の永遠の課題、脱力について考えを改めたのがきっかけです。

近頃、どうも本来の目的を見失いがちだな、と内省することが多々ありました。そう思うようになった機転は忘れましたが…

チェロを弾いていてもそう思います。我々は常々「力を抜いて」と他人からも自分でも叱責しますが、明らかに力を入れているタイミングだってあるし、プロの演奏を見ていても(力んではいませんが)、力が入っているように見える部分もあります。

つまり、力を抜くこと自体は目的ではない、と考えています。では、なぜ力を抜くことを求められるのか?

力を抜く目的の一つとして私が思うことは、「感覚を鋭くすること」です。

チェロを弾いている時、脱力がうまくいっていると弓が重く感じること、ありませんか?
弦と毛の摩擦を感じるというか、長い棒の端を持っている感覚というか…弓の重さ(弦と毛による摩擦も含めて)が指にかかっている、とでも言いましょうか。
指や手に力が入っていなくても、音を十分響かせることができている。そういう時は、私の場合腕の重みや体重を十分楽器に与えられている状態です。
この状態をしばらく続けると、指先の感覚や自分が加えている力に敏感になってきます。すると、少し圧をかけてあげるだけで音量や響きがぐんと上がってくれます。まさに思い通りです。

でも私の場合、それって個人練をやっている時、つまり心身を特に落ち着かせている時によく感じて、本番中には感じることが少ないなぁ、と気づきました。

脱力によって何が得られるのか?
常に脱力でいいのか?
脱力が適切でない場面は本当に無いのか?
と、自分で問いを立てることができた機会でした。

「常に変化を求めることが、音楽の秘訣である」と、かのカザルスの言葉も、問いを立てるのに参考になりました。

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