【詩を紹介するマガジン】第17回、吉野弘

香水
──グッド・ラック


五日間の休暇を終え
日本のテレビの画面から
ベトナムに帰るという
兵士に

グッド・ラック
司会者は
そう、餞けした

年は二十歳
恋人はまだいません
けわしい眉に微笑が走る
米国軍人・クラーク一等兵

司会者が聞いた
戦場に帰りたくないという気持が
少しはありますか

君が答えた
ありますが、コントロールしています

戦う心の拠りどころは
何ですか

──やはり、祖国の自由を守る
ということではないでしょうか

小柄で、眼が鋭い

細い線を曳いて迎えにくる一条の死
機敏に、避けよ、と
戦場は
君のわずかな贅肉をさらに殺ぎ
余分な脂肪と懐疑を抜きとり
筋肉を細く強く、しなやかにした

これだ
戦場の鍛えかたは

その戦場に帰ろうとする君の背に
グッド・ラック

祝福を与えようとして手に取り
──落として砕いてしまった
小さな高貴な香水瓶
の叫びのようだった言葉

グッド・ラック

なんて、ひどい生の破片、死の匂い

たちこめる強烈な匂いの中に
溶け入るよう
蒼白な画面に
君は
消えた

 吉野弘の詩の代表作──ではない。有名になったのは、もっと戦争の色がしない詩で、穏やかでありながら鋭く、人々の心に訴えるものがある。自分だってもし大事な人が結婚するとなれば、吉野弘の「祝婚歌」を贈りたい。
 
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい……
 
 この詩人がどういう人だったかといえば、「こういう人」だったのだろう。気張っていても夫婦生活は持たない。家庭っていうのはそういう場所じゃないんだ。互いに気取っていたってやるせない。ふざけていたり、ずっこけたりしていていい。
 
 この詩には戦争の気配がないけど、吉野弘の書く他のものには頻繁に出てくる。それは別に、たからかに歌い上げられる平和への希望でもなく、拳を振り上げる軍歌のおもむきもない。ただ日常が描かれる。日常が、血なまぐさいレッドカーペットに続いているのを素朴な言葉で書く。
 
 この「グッド・ラック」という言葉も、ふつうに聞いたらいい言葉だ。幸運を祈る常套句、平易な英語。だけど戦場に戻ろうとする人に対して、それがなにを意味するっていうんだろう。それ自体は美しい台詞なせいで、場違いになってしまった「グッド・ラック」。高貴な香水瓶が割れる、耳障りな悲鳴のような。
 
 戦場がどんな場所かわたしは知らない。でもそこにどんな種類の幸運もありはしない。マシな不幸とよりひどい不幸があるだけだ。幸運を祈ります、と言われて、二十歳だったその人はなにを思ったのか。クラークさんのその後は書かれていない。
 
 
 他の詩には「召集延期申請」を書く場面が出てくる。延期申請に自分の名前を書き、ついでに隣の家に住む夫婦の、夫の名前を書く。「僕」は隣の奥さんにいれあげていて、彼女が悲しむのは忍びなかったからだ。
 
 だけど延期申請が受理されるより先に、召集名簿は作られていた。隣の夫にも「僕」にも召集令状が来て、その詩は終わる。(「挿話」)
 
 日常に異常が紛れ込んでくることへの暗い違和感があって、後味の悪いホラーを見たような気になる。異常さをはらみながら日常が続いていくことへのどうしようもなさと、それに言葉でささやかに抵抗すること。
 
 巨大な出来事のグロテスクなところは、人々の日常を巻き込んで、いつしか異常を日常に据えてしまうところだ。なにか変だと思いながらだれもが適応せざるをえない。適応せざるをえないときに、違和感は足手まといになる。だから人によっては、違和感を切り捨てて異常な日常に積極的に馴染もうとする。
 
 そういうことができなかった人なんだと思う、吉野弘。でなければ、香水瓶が割れる音は聞こえない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。