出生率報道から考えること

「そもそも出産できる女性の数が減ってきている」という話を、出生率の報道と一緒に聞く。これから先、出産への圧力が高くなれば「出産可能な(≒若い)女性」の社会的な価値が爆発的に上がる可能性がある。他にどんなことが起こるだろうな……。そんなことを考えている。

守らなければならないラインとして「子どもがいるか否かは、その人の価値を増減させるものではない」がある。出生率に敏感になった社会では、子どもを持たない女性に対する風当たりがいまよりも強くなる可能性はあるけれど、「それは個人の意志によるもので尊重すべき」という一線は崩せない。

ただ、国全体の意向として「女性には出産を」という空気が強まっていくだろうし、これは止めようがないように思う。その空気が、具体的にどんな形を取って私たちの前に現れるのか、ちょっと考えてみる。

例えば「食育」が姿を変えるかもしれない。今までなら、ただ「健康のために」と漠然となされていた食の教育が「妊娠に適した体をつくるため」という目的を掲げてなされるようになる。男性の不妊も話題になっている以上、それは女性だけの問題ではない。男性もまた「子孫を残すために適した体作り」を目的にして、食生活を設計するよう促されるのかもしれない。

上では「出産可能な女性」と書いたけれど、男性も年齢から自由なわけではない(精子の質を比べると、20代と40代では全然違うと言われる)。「どうせなら健康な子どもが欲しい」「男性の年齢は若いほうがいい」と願う女性が、年下の男性をパートナーに望む空気ができていくかも。

そういえば身近でも、20代男性と40代女性のカップルがいた。女性が年上のカップルは、これからますます普通になっていくんだろうか。

という話を父親にしたら「女の人のほうが一般的に言って寿命が長いから、男が少し若いくらいでもいいかもな。運がよければ同じくらいのタイミングで死ねるだろう」とコメントされた。なるほど……男性のほうが若ければ、同世代や年上と結婚するよりも、未亡人になるリスクが確かに減る。老後をなんとしても1人で過ごしたくないなら、相手はどうしたって若いほうがいい計算になるのか……。

うーん。若さの価値は上がりこそすれ減ることはなさそうだ。そして、そういう世界で年齢を重ねていくことは、決して明るいものにはならないだろう。年齢関係なく生きやすい社会にしていくには、どうしたらいいんだろう?いまはモヤモヤしながら、ただ考えている最中。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。