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プチプラ以外

女性誌をパラパラと立ち読みすると、だいたいこの単語が目に付く。「プチプラ」ってやつだ。プチなプライス、価格がお手頃という意味で、GUやユニクロを始め、低価格帯が自慢のブランドがずらりと紙面に並ぶ。どのモデルもそれなりに綺麗に着こなしていて、プチプラの快進撃が止まらないことがわかる。

高いものだけがいい服とは限らない。お手頃ブランドの企業努力にはすさまじいものがあって、着るもの全部をそこで買う人もいる。そしてそれで困らない。自分が小さい頃にはまだ、安い服はすなわちダサく、スーパーの衣料品売り場で適当に買うイメージがあったけれど、それはもはや時代遅れ、いまは安くてカッコいいものが簡単に手に入る。いい時代だ。

だけど、と思う。いい服を長く着るという習慣は失われたんじゃないか。仕立てのよい服を、ずっと付き合っていくつもりで買う。文字通りの一生物として服を買う。そういう心意気が、急速に社会から失われていったんじゃないか。

実家の祖母の箪笥には、ずいぶん昔のバーバリーの、赤いニットセーターが生き残っている。綺麗なセーターだ、発色がいい。濁りのない綺麗な赤色で、脇に入った縦を強調するラインでウエストを細く見せる。肌触りもよく、ロゴが目立たない場所についていて嫌味にならない。祖母が現役時代、仕事場に着て行ったのだろう。

それからセーターは母の手に渡り、アパレルで働く彼女がそれを着倒して、今度は娘の私のところに来た。初めて袖を通したのは、小学六年生、既に身長が祖母を超え母と並んだときだった。普段使いで着たわけではもちろんなくて、少しいいところに行くからこれを着なさいと渡された。そのときは何もわからなかったけど、発色のよいセーターは珍しかったから、「すごい赤いな」と思ったのを覚えている。

お手頃価格の服は優秀だ、安くて可愛い。1シーズン着たら心おきなく買い替えられて、それが長所だとも言える。トレンドに敏感な人たちは、来年もまた同じ服を着るなんて考えられないかもしれない。そういう人たちにとっては、プチプラは強い味方だ。

だけど、お手頃服にはできないことがあるのもまた確かだ。長く着ることを前提にきっちり作られた服は、流行に左右されることがない。メンテナンスの必要はあっても、買い替えるコストや手間はかからない。一着の息がとても長い。

女性誌を見ていると、そういう「長持ちするいい服」の存在を忘れそうになる。プチプラもいいけど、たまには気合の入った服を買うのもいいかもと、そんなことを考える。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。