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勝手に撮らないでほしい

 喫茶店のメニューに「マロンクリーム」「アップルシナモン」が踊るようになって、秋。友達は、最近のユーチューバーに苦言を呈している。
 
「ショッピングモールの休憩所で電話してたら、Tiktokかユーチューバーみたいな人が動画撮りながら『すみませーん』て声かけてきて。人の許可とかなしにもう動画撮ってるの、本当にやめてほしい」
 
 わかる。動画じゃなくても、勝手にカメラを向けられると嫌な気持ちになる。
 むかし、乗っていた新幹線が半日以上立ち往生してニュースにまでなった。暗くなるまで車内に閉じ込められ、もうこれ以上は進めないからバスを呼ぶと言う。冬の東北の話だ。新幹線は雪に乗り上げたのか、とにかく復旧の見通しはつかなかった。
 
 それで仕方なく、乗客は駅でもなんでもない田んぼの近くで新幹線を降りることになった。もう日が沈んでいて足元が見えづらい中、急ごしらえのタラップを降りようとする。瞬間、いきなり目の前が強く発光した。マスコミがたいた、カメラのフラッシュだった。
 
 勝手に撮るな、という怒りも湧いたし、急にフラッシュをたかれたせいで次の瞬間には視界がひどく暗くなる。不快でみじめだった。だれかのどうでもいい好奇心を満たすために、オモチャにされているような気持ちだった。
 
 「ちょっと撮られたくらいでおおげさな」と言われるかもしれない。でも「自分の写った写真がどう使われるかわからない」「だれがそれを見るかわからない」状態で、自分の許可なく撮られるのは、どう頑張ってもいい気持ちはしない。
 
 以前なら、それをやるのはマスコミのカメラと決まっていた。いまではだれでもできる。誰もがやる。みんなで撮った写真を、ひとりひとりに確認せず勝手にフェイスブックに載せる。ツイッターに載せる。時には道行く人を無断で動画に撮る。
 
 母親も前にこぼしていた。

「○○さんトコの集まりに行くと、なんでも写真撮ってネットに上げるのよ……。それであとあと、ぜんぜん関係ない人から『あなた、あのとき○○さんといたんだね。投稿見たわよ』って言われる。どこでだれに見られてるかわからないから嫌よ」

「写真載せていいかって聞かれないの?」

「聞かれない、聞かれない」

 勝手にそういうことするのよ、と母は疲れたように首を振った。
 
 そういうの、ちゃんと規制されないかなあ。無断で動画や写真を撮るの、ふつうにプライバシーの侵害だし盗撮でしょ。と思うのだけど。
 
 スマホや携帯のカメラが悪いとは言わない。暴行された人が動画を撮っていたおかげで後から加害者が特定でき、捜査の手間がはぶけることもある。でもそれ以上に、許可なくSNSなどに登場「させられてしまう」人のほうが多い。
 
 友達も「そういうことされてるの自分だけじゃない」と言う。
 
 「他の子の話なんだけど、胸の前に穴の空いた箱持って立ってるユーチューバーがいてね、撮影しながら『穴から手ェ入れてなにが入ってるか当ててください』って言うの。でも胸の前に持って立ってるのがポイントで、箱に手を入れるとおっぱいに触っちゃう」

「バストが大きいとそういうことができるんだね」

「そういう話はしてない、そういう話じゃない。……だから友達はバカな真似はやめろって怒ったんだけど、それも動画に撮られてた。なにやっても向こうが喜んで、向こうの撮り高になる」
 
 うーん。嫌だね、そういうの。話を聞いていてモヤっとしたので、帰宅してその旨デジタル庁のご意見箱に送ってみた。「返事はしないけど読ませてもらいます」との文章が出たから、読んではもらえるかもしれない。
 
 カメラを向けるっていうのは、一種の暴力行為だ。撮られたくない人の撮られたくない気持ちが、尊重される世の中であってほしい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。