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食卓むかしばなし

 昭和は遠くなりにけり。「昔はよかった」とこの時代を懐かしむ人をたまに見る。見るけどあまり同意できない。父親から聞く昭和像は「むかしばなし」と言っていい部類だけど、どれもいまでは考えられない。
 
 戦後日本はなにが変わったと言って──そりゃあ何もかも変わっているんだけど──外食産業の発展がある。
「俺たちの子どもの頃な」父は言う。
「カレーライスを食べに行ったんだ」
 
 友だち何人かで小遣いをためてな、学校の近くにあったレストランに行ったんだ。「カレーライス」って言ったら、ふわっと盛られたご飯にたっぷりのカレールーがかかってくると思うじゃんか。俺たちもそれを期待して行ったわけだ。
 
 ところが出てきたのはぜんぜん別モンだ。皿にうっすーく米が貼り付けられてて、そこにちょこっとカレールーがかかっとるだけ。小遣いパーにして食えるのがこんなもんかって、みんなで泣いて帰ったよあれは。
 
 まだある。入社2,3年目くらいの忘年会だ。6千円も取りやがって、いまの物価になおすと1万円近いな。その頃の俺の給料は10万円にもならない頃だ。そのころに6千円ていうのはすごいぞ?!しゃぶしゃぶを食べに行ったんだ。
 
 肉はめちゃめちゃ薄く切ってあって芸術的なくらいだった。鍋に入れたら一瞬で消えやがる。どこにあるかわからへん。それも1人5,6枚だぞ、めっちゃくちゃ薄いやつが。湯の中に入れたら縮んで見えなくなっちまうんだ。こんな店選ぶなよって感じだよ。
 
 「いまでも6千円って言ったら高いぜ?!」父は言う。「あまりにもひどかった」。
 そういうお店って結局どうなったの、と聞くと「つぶれたね」。
 
 当時は食べ物が高かったから他にもいろいろあった。「若い頃は食いモンにとにかく恨みがあった。いまはいいよ、食べ物安くなったもん。6千円出せばまともなものが食える」。生まれたときからこの環境にいる自分にとっては当たり前のことを父は言う。
 
 自分の世代もまた「食」にまつわるシーンが変わっていくのを目の当たりにするだろう。いままでにも、コンビニのテイクアウトコーヒーが登場したりウーバーイーツが普及したり食をめぐる場面はずっと変化を続けている。
 
 これから何が起こるかと言えば、物価高を受けて「安くておいしい家庭料理」が大事になっていくだろうし、逆に出前や外食は、割高だからすこし落ち込むんじゃないか。自分はテイクアウトのコーヒーを買う機会が減って、家で淹れるようになった。
 
 近くの青物屋さんはカブを売りたいらしく「カブいいですよ、葉っぱは刻んで油で炒めればふりかけになる」と熱弁を振るうので買った。料理に苦手意識があったころは、自分がふりかけを自作するなんて考えもしなかったけど、作ったら普通においしかった。
 
 むかしの人も八百屋さんとこんな話をしたんだろう。これはいまは旬ですよ、こうやって食べるとおいしいんです、余すところなく使えますよ。生身の人から教わると、ネットで調べるとき以上に「やってみるか」って気になるからおもしろい。
 
 スーパーももちろん使うけど、野菜の使い道をレクチャーしてくれるところはない。なんていうか「客を教育する店」と「しない店」がはっきり分かれてきている。スーパーは欲しいものだけ買って帰るのに便利だ。だれもセールストークを投げかけてこない。
 
 客に変化を促すお店、そうじゃないのを売りにしているお店、どちらも生き残って欲しいけれど、将来はどうなるだろう。ふたつの間の分断は進んでも、どちらかが消えるって未来は想像できない。将来も自分は両方いったりきたりしているような気がする。
 
 何十年後かに今を振り返ったら何を思うんだろう。未来はいまよりよくなっていてほしいのだけど。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。