見出し画像

エコロジー裏表

「エコって名前で、新しい消費形態が始まったってだけよね」知人の女性はそんな風に言う。

今日はファストファッションの店を見てきた。どの服も廉価で可愛く作られていて、ハンガーにかかっているのをそのまま着れば、すぐに流行りの女の子になれる。うまいな、と思う。これなら買ってしまうのも仕方ない。自分は見ただけで出たけれど、店内では10代から30代の女性たちがカワイイ可愛いと言いながら物色していた。

ああいう服は、流行りが過ぎるとすぐ捨てられる。女子寮で暮らしていたときには、よく大量の服が詰められたゴミ袋を見た。寮を出て引っ越しするときに、みな要らない洋服を処分する。ギュウギュウに詰められた大きな袋が、4つ5つとそのままゴミ収集車の中に消えていく。珍しい光景じゃない。

消費社会を支えているのはそういう人々だ。間違っても、年中おなじシャツを着ているおじさんとか、祖母のお下がりを着ている私とか、服を買わないホームレスの人ではない。物を長く使うのは素晴らしいことです……と建前上はそうなっているけれど、実際はお金を出して経済を動かす人が持ち上げられ、企業も彼女たちの機嫌を取る。

「服を長く着ましょう、物を長く使いましょう」のエコ的啓蒙がなされる一方で、数々の新商品が発売され宣伝される。「環境にやさしい」は新しい売り文句に化け、消費の構造自体は何も変わってない。そして服や化粧品をはじめ、身の回りの物を頻繁に買い替える人々は、相変わらず高いオシャレポイントを保ち、カースト上位に君臨する──。そう言ったら僻みに聞こえるだろうか。

本心では、物を長く大事に使いたい。だけどいざ廉価な物たちを前にすると「これで済むなら買っちゃうよな……」と納得しかける。安く済むならそれで越したことはないし、簡単に買い替えられて流行にも乗れて楽しいなら、それをやらない理由って何だろう。なるほど安い物は、誰かを不当に働かせているかもしれない、すぐに捨てるのは環境によくない。でもそんなの、気にしなければ気にならない。

物をポンポン捨てて買い替えても、別に罰金がかかるわけじゃない。むしろオシャレな人たちは皆そうしているのかもしれない。そうして時々エコマークの付いたものを買って「環境にやさしい製品を買いました♡ #SDGs 」とインスタグラムにアップして、気に入らなければ捨てる。投稿には「いいね!」がたくさんついている。

自分の物持ちはいいほうだ。たいていの物を、破れたり駄目になったりするまで使う。持ち物が擦り切れてボロボロなのを見て、会話相手が絶句したこともある。そういうのって人からしたら「異常」なんだろうな。消費社会の申し子のような人たちを見ると「ああはなれなかった」と微妙な劣等感を覚える。

経済は大事だ、その理屈はよくわかる。自分は消費者として優秀じゃない。さすがに誰かを絶句させることはなくなったけど、いまだに使える物は使う精神で生きている。髪留めのゴムなんて何年前のものかわからない。高校の頃から生き残っている文房具、小学校から使っているハサミ、親類から貰ったアクセサリーにお下がりの古着。

消費社会に自分の居場所はない……そんな失望とも疎外感ともつかない気持ちを抱えながら、馴染みの物に囲まれている。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。