「チヤホヤ」の違和感

東京で喫茶店に入ると、たまに芸能関係者らしい人たちに出会う。周囲に聞こえるように芸能人の名前を出して「○○さんはホントにクズでさあ」と笑う男もいれば、「ジャニーズさんの記事が……」と話し込んでいる妙齢の女もいる。「おれ脱毛完了したわ」と報告しあっている青年たちも、「鞄が重い」「夢と希望が詰まってるんだよ」と甘酸っぱい会話を繰り広げる、バンドマンの女の子たちも。

今日は初めて、目の前で誰かの取材が始まるのを見た。「誰か」というのは、その取材を受けている人が誰なのかさっぱりわからなかったからだけど、声を聞く限り50代の男性という感じだった。四人の女性が取材する側で、彼女たちは取材陣だけあって、適宜あいの手を入れたり、みんなで一斉に笑ってみせたりしながら、男性を立てつつ会話を繋げていた。男性は四人の真ん中に陣取って調子よく喋っていた。

それはどんな気持ちなんだろう、と私は想像する。異性に囲まれて、誰もが自分に配慮して笑ったり、相槌を打ったりしてくれる。自分は取材される立場で、放っておいても向こうが興味を持って質問してくる、そういう状況。自分より「偉い」人はそこには一人もいなくて、議論をしているわけではないから、手厳しい反論が飛んでくることもない。知識や検証が必要な話をするわけでもない。ただ自分の思い出話をすればいいだけ、そしてそれを他人がウンウンと聞いてくれる。

外から眺めていても、当事者の気持ちなんて推し測れようはずがない。誰だかわからない、その男性が何を思っていたのか私は知らない。知らないけれど、怖いなと思った。人に囲まれてチヤホヤされるのが当たり前になり、何を言っても聞いてもらえて、自分もその環境に甘んじて生きていく……。怖いような、ラクだし悪くないような、腐っているような、本人が幸せならそれでいいような──。

複雑な気分で喫茶店を後にした。取材を受けていた男性が誰なのかは、最後までわからなかった。

チヤホヤされるっていいことなのかなあ、と思う。まったく羨ましくないと言えばウソになるだろう、自分の話を興味を持って聞いてもらえたら誰だって嬉しい。何もしなくても人に囲まれるなら、一人ぼっちでさみしくなるなんてこときっとない。皆が自分のほうを向いているから、無視されることもなくて。

だけど、そんな光景を書いていて「なんか違うな」と感じる。何が違うのかよくわからないけれど、この違和感は大事にしたい。それはきっと、自分の欲しいものは「チヤホヤ」とはまたちょっと違う何かなんだと教えてくれている。今日はそんなことを考えた。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。