見出し画像

物付き合い

「履き潰してください」
修理に持ってきたはずのブーツを、そう言って返された。足の内側の部分に大きな穴が空いていて、もう直せるような状態じゃない、だから持って帰って壊れるまで履いてあげてください。靴屋さんはそう言った。

なんでも直せるはずの人だった。同じブーツの留め金が壊れて、ボロボロになったときも修理してくれた靴屋だ。今回もきっと──と思ったのは間違いだったらしい。彼の能力の問題ではなく、物には寿命があるという当然の話として。

てっきり、修理できなくなった靴は店側で引き受け、廃棄するものだと思っていたが、靴屋さんはそうは言わなかった。最後まで履けと。その「最後」は、壊れて本当に履けなくなるまで、を意味するらしかった。

大抵の靴は、気づいたときには限界を迎えていた。気に入って履くあまり、かかと部分を陥没させたサンダル、靴底が擦り減り、水色が灰色がかるまで履いたスニーカー、靴紐の部分が壊れて履けなくなったものもあれば、革が緩んでサイズが一回り大きくなってしまったやつも。どれもこれも、お別れの日は突然に来た。

それがこのブーツだけは、まるで死に向かう日々を一緒に生きるように、壊れるのを待ちながら履くことになるわけで、そんなのは初めてだと思う。靴屋さんは手元の紙の束を眺めながら、3年前の物ですね、もうこの型は販売してないんですよ、かっこよかったんですけどね、と靴の小さな歴史を語る。

足首をすっぽり覆い隠す、黒い編み上げブーツ。ヒールの高さはかなり低く抑えられており、それでも踵が高い靴特有の見栄えの良さを保ち、重宝した一足だった。多少の雨にも負けず、冬には椿柄のスカートと一緒にコーディネートの定番だった。

物は駄目になったら──修理できないとわかったら、その時点で手放すものだと思っていた。その考えは浅かったのかもしれない。持って帰ってあげてください、履いてあげてくださいという、靴屋さんの言葉を思い出す。

物の捨て方には、ひょっとしたら気性が出るんじゃないだろうか。物を慈しんで最後まで使う人は、人間のことも粗末にはしないんじゃないか。逆に、買って捨てるを繰り返す人は、人間関係のローテーションもまた激しいのかもしれない。

駄目なら捨てるしかない、修理できないなら物の寿命はそこまでだ──という自分の思い込みは覆って、ブーツは今も靴箱の中にある。人付き合いならぬ物付き合いには、学ばされることが多々ある。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。