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ヒマだから読んでる、で何もわるくない

 「小さい頃は本を読んでいるだけで『真面目だね』ってほめられるのに、大人になった途端、『いいトシして本ばっかり読んで』って言われる」
 母はときどきそう言って愚痴る。
 
 小学生の頃、読書好きな子は偉いという雰囲気があった。図書館から借りた冊数の多い子が表彰される制度があったから、借りたあと読まずにすぐ返す子もいた。そういう水増しが横行するくらい、本はなんとなく知的でいいものだと思われてた。
 
 小中学校では、ダレンシャンやハリーポッターをみんなで貸し合ったり、『恋空』が回し読みされてたり、朝の「10分間読書」が義務付けられていたり、それなりにみんな本を読んだ。だから感想を言い合う機会も多かった。
 
 おとなになるとその機会もグッと減る。職場の人と「最近読んでる本」の話なんてまずしない。なにかの折りに紹介される書籍はビジネス本で、もちろん読めばおもしろいのだけど、小説やその他ノンビジネス書籍からは離れてしまう。
 
 今日は久しぶりに大学の同期に会って、本の話をした。近ごろ読んでいるもの、ハマっている作品。時代を感じたのは、自分があげた作品も同期が読んでいるのも、韓国系が目立ったことだった。さすがお隣と言うべきか、距離が近いね。
 
 それぞれ韓国に持つ印象はよく似通っていた。日本よりも男尊女卑や格差が激しいとか、貧しい者にとって救いがないとか、根強いルッキズムとか。中には韓国アイドルがすごく好きで追いかけている子もいて、向こうは整形しすぎだよねと言った。
 
 この調子だと、次は中国文学あたりが来るかもしれない。あるいは東南アジアとかインドとか。
 
 欧米のものを読んでいないわけではなく、最近本棚に増えた本の中に

アントワーヌ・ローラン『ミッテランの帽子』(フランス)
チャールズ・ブコウスキー『町でいちばんの美女』(アメリカ)

 もあったけど、その話をする機会は巡ってこなかった。『ミッテランの帽子』は、まさに大人のためのおとぎ話、『町でいちばんの美女』は、最低なのに読後感は悪くない短編集だった。買ってよかった。
 
 大人になってから「役に立たない」本を読んでるのって、どこか馬鹿にされるようなことなのかしら。母の愚痴を思い出しながらそう考える。暇な人間のすること、って感じなんだろうか。暇でなにか悪いんだろうか。忙しいのが偉いわけでもあるまい。
 
 本屋で「ん~次なに読もっかな~」と思っているときの自分は、確かに暇そうで間抜けに見えると思う。でもそういう瞬間が人生には大事じゃありません?次なに読もっかな。とりあえず本屋に行ってみよう。それから決めよう。
 
 「アマゾンでなんでも買える時代に、本屋なんていらない」とは言えない。リアル店舗の、それぞれに違う推し本を見ながら買うのが楽しい。人に勧めてもらえないと本も買えないのか?と煽られたら、迷わず「そうね」と答える。
 
 だって誰かのおすすめに乗るのって楽しいから。
 
 同期とも互いに、会話の中に出てきた書籍のタイトルをメモしあって、健全に食べて飲んで帰ってきた。だれも活字から離れていなくて、それがなんとなく嬉しかった。いいトシして本ばっかり読んで……なんて小言は誰も言わない。
 
 将来そういうことを言うようになりたくない。本を読むのをやめた人が賢い、みたいな空気には乗れない。「仕事がいそがしくないからそんなことが言えるのよ」と言われたら、いいでしょう羨ましいでしょうと返す。暇は優雅で、美しい。暇のない人生とかいらない。
 
 読めば読むほど偉いってもんでもないけど、読んでる人を落とす風潮にも乗れなくて、また本屋に行く。活字があふれる中に突っ立っていられるのは、どんなに間抜けに見えてもとても恵まれている。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。