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好きなものの断片

小さな言葉、ちょっとしたフレーズ、ある文章のどこか一部分。声高に「好き」と主張したいわけじゃないけど、記憶に残っている断片の数々。今日はそういうのを集めてみた。決まりは特にない。時代も作家も問わない。

最初にショーペンハウアー。

悲しんでいる事柄が取るにも足らぬことであればあるほど、それだけその人間が幸福なのである。

世の中を渡るには、大いに細心と寛容を持ち合わせるがよい。細心によって損害・損失を免れ、寛容によって争いを免れる。

「生命より貴いのは名誉だ」ということが、大いに叫ばれているが、その意味するところは結局、「生活とか無事息災とかいうことは、無価値なものだ。われわれに対する他人の思惑のほうが大問題だ」と言うにある。

──『幸福について─人生論─』

高校の頃に読んで、ノートにコピーを貼り付けていた。当時の自分が何を思っていたかわからない。だけどいま読んでも「そうだな」と思わされる。些細なことを悲しめるのは幸福なことで、細かな心配りと他人への鷹揚さは、生きるのを楽にしてくれる。人からの評判より、まずは自分の生活を考えること。

川上未映子のエッセイも好きだった。小説はほとんど読んだ試しがないのに、なぜか随筆のほうはよく読んだ。ショーペンハウアーの文章を貼り付けた、同じノートに彼女の文章が並べられている。

孤独の豊かさを知らなければ、何人と遊んでいたって満たされない。ひとりきりを過ごすことができなければ、誰といたって安心できない。自らをちゃんと考えるための言葉をまだじゅうぶんにもっていなかった少年少女時代をへて、そして、無数に存在する人間の中で、自分という得体の知れないものをもてあまして何もかもが過剰で苦しんだ思春期をこえて、ひとりでいること、孤独であることの──誰の目も経由しない、本当の淋しさと滑稽さと強さを知った人たちが寄り沿うときにはじまて、お互いがお互いをもっと理解したいと思えるような、そんな気持ちに出会えるのじゃないだろうか。そこに誰がいてもよかったような関係じゃなく、わたしでありあなたじゃなくちゃいけなかったと心の底から思える──それが愛情でも友情でも、交わした言葉や視線や風景を思いだしさえすれば、今日もまた生きていけるような関係を、築くことができるのじゃないだろうか。

おそらく『安心毛布』に収められたエッセイだと思う。当時は、欲しい本の量に財布事情が追いつかなかったのか、図書館で借りた本の気に入ったところをコピーしてはノートに貼っていた。そのとき使ったセロテープが、いまはもう色褪せて粘着力を失いつつある。これだけの時間を経て、文の内容は少しも変わらない。当たり前だけど、言葉は時間を超える。

それから、もうちょっと大人になってから読んだもの。これはちゃんと本として手元にある。

生きている以上、あなたをこれからも誰かが測ってくるでしょう。いやモノサシじゃなくて分度器を使う人もいるでしょう。はたまた手触りを大事にする人も、心の重さをグラムで量る人もいるかもしれません。あなたもあなたの基準で何かを選び、生きていくんだと思います。

──燃え殻『相談の森』ネコノス、2020年、103頁。

人が人を選んだり、付き合ったりする基準なんてさまざまで、捉え切れるものじゃないよ……。そんな、一種の諦めとともに生きるのを肯定するお悩み相談の切れ端。これを読む頃には、ちゃんと本のタイトルから出版年まで記録できるようになっていた。

どうしてこれらを、手元に置きノートに中に残したのか、基準を説明しろと言われてもうまく言えない。だけど、本当のことを書いているように思えた、そのことが確かに核になっている気がする。

https://honto.jp/netstore/pd-book_30553965.html


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。