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障害は、社会とのあいだにある壁

 「障害者」とは、社会とのあいだに壁=障害がある人を意味している。逆に言えば、壁が乗り越えられるようになれば、その人は障害者ではない。
 
 たとえば視力が衰えた人は、そのままでは普通に生活していけない。そこでメガネが登場する。かければ健常者と同じように見えるから、この人は障害者ではなくなる。技術によって壁が乗り越えられたから。
 
 ほかの病気も同じだ。自分の父親は糖尿病をわずらっていて、お腹の横に常に小さな機械がついている。あれで血糖値を調整する。調整しないで放っておくと、まともに生活を送ることができない。
 
 血糖値が高過ぎても低すぎても、具合が悪くなり普通に歩くのもむずかしくなる。一緒に歩いていても、突然あゆみが遅くなり、道端で「休憩」と言い出すことがある。「こういうとき、自分は病人だと思い知らされるね。普段はなんともないんだけど」と父は言う。
 
 普段まともに生活していけるのは、医療技術に支えられているからだ。これも克服された障害だと言っていい。完全に健常者だと言えるかはわからないけれど、多くの場合ふつうと変わらない生活が送れる。
 
 いまの世の中で「障害」と呼ばれていることは、技術があればクリアできることかもしれない。視力に対するメガネのように、糖尿病に対する小さな機械のように。障害が身体に関することである限り、いつかは技術によって克服できる可能性が高い。
 
 ところで最近「発達障害」や「気分障害」という単語を聞く。これらは身体ではなくメンタルの障害だ。精神的な不調によって社会と壁ができた場合、それは技術でなんとかなる問題なんだろうか?
 
 メジャーなところで「コミュ障」なる言葉があるので、ちょっとこれについて考えてみる。コミュニケーション障害、他者とうまく話せないとか、人間関係を築けないのを称して言われる。スラングに見えるけれど、いちおう医学的な診断名らしい。
 
 「うまく話せない」ときの対処法には「機械的なあいさつ、言い回しを覚える」というものがある。これは技術というより、一種の世渡りになる。機械的な言い回しを覚えるの、実社会では確かに役立つから、これをもうちょっと機械化できないか。
 
 いまでもチャットでやり取りするときに、文章を勝手にサジェストしてくれる機能は存在する。職場ではマイクロソフトチームスで社内連絡を取っているけれど、これは相手の会話内容に応じて文章を提案してくれる。
 
 たとえば上司から「~お願いします」と来たら、返信として「承知いたしました」「かしこまりました」がボタンで押せるようになって表示される。好きなほうを押せば、そのまま選んだほうの文章が送信される。自分で打ち込む必要がない。
 
 いまは簡単な文章──「ありがとうございます」「承知いたしました」「お願い致します」──くらいしかサジェストされないけど、将来的にもっと充実されてほしい。普通の文章で書き込んだら、適切な敬語調になって出力されるとか……。
 
 「3/3に休みたい」→「3月3日(火)に有給休暇を申請したいのですが、よろしいでしょうか」みたいな感じで。
 
 「いま自分が書いてるこれは適切な敬語になっているのだろうか」とメッセージするとき悩む人にとっては、無駄な時間が削れていい。もちろんそれは「機械の提案する台詞しか話せなくなる」リスクと表裏一体だけど、そう思う人は自分で文面を考えたらいい。
 
 だれかの障害をいますぐ救えるわけではないから、これは祈りにも似た話だ。だけど「障害は、解決する技術があれば障害ではなくなる」と知っていれば、少しは世界が違って見えるかもしれない。
 メガネをかければ世界がクリアになるみたいに、他の障害も消える日が来たらいい。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。