クリスマスの圧力

季節外れな話をする。クリスマスに観たい映画について。『フランスの小さくて温かな暮らし365日』を読んでいたら、おもしろい項目に行き当たった。

フランスのクリスマス映画といえば(12/23)

この季節になると決まってテレビで放映されるのが『サンタクロースはゲス野郎(原題:Le père Noël est une ordure)』という1982年の喜劇映画。日本ではDVD化されていませんが、フランスでは世代を超えて愛され続けるクラシック中のクラシック。イブのパリを舞台に、「命の電話相談室」を訪れる奇妙な人々が繰り広げるドタバタ劇は、当時人気だった演劇集団「ル・スプランディド」の舞台が原案で、同じ役者陣で映画化されました。彼らは今もフランス映画界の大御所として活躍しています。

かの国に「喜劇映画」のイメージはなかったから意外な感じがする。タイトルからして飛ばしているのでちょっと見てみたいけれど、日本向けはないらしくて残念。もっとも原題で検索をかけたところこんな動画が見つかって、邦訳されることはないだろうなと思う。

家族がクリスマス意識(そんなものがあるとして)の薄い人たちなので、あまりこのイベントの圧力を受けたことがない。高校の頃、10月25日になって男子生徒たちが「俺たちは二か月後どうしてるんだろうな……」と話していて、それがつまり「クリスマスに彼女がいなかったらどうするんだよ」の意味だとわかったときは衝撃だった。

キリスト教の影響が濃い地域では、家族と過ごすのが定番の日だ。だから独り身の人の孤独はこの頃ピークを迎え、文学作品においても「クリスマスに家族と会えないなんて」「プレゼントがないなんて」という悲痛な嘆きが描かれる。(それぞれケストナーの『飛ぶ教室』、O.ヘンリー『賢者の贈り物』)

なぜか日本では恋人と過ごす日として定着している。いつだったかクリスマスイヴに会った友人も「今日だけは惨めな女と思われなくない」と言って、気合の入った盛装で待ち合わせ場所に現れた。あっそういうものなんだ、と思った自分は、いつもと変わらないダウンコートを着ていた。世の中に流れにまるで乗れていない。

いずれにせよ「大切な人と過ごす日」なのだろう。誰だって自分のことは大切だから、大切な自分と過ごす一日だと思えば独り身の人だって寂しくないかもしれない。それともそういう人の憂鬱を吹き飛ばすために、フランスでは喜劇映画が放送されるのかもしれない。

華やかなイベントは、それに乗れない人に逆の圧力をかけてしまう。ひょっとしたら『サンタクロースはゲス野郎』で描かれるのも、乗れなかった人たちなのだろうか。予告らしき映像を見ただけだと、少なくとも「正当な」クリスマスを送れなかった人たちの話らしい。はみ出し者はどこの国にもいる。

日本で最も有名な「はみ出し者」と言えば「フーテンの寅さん」だろうか。風のように来て風のように去って行く。映画館で見たことは一度もないけど、家族がときどきテレビで見るのを自分も一緒に鑑賞した。ああいう「世の中からちょっと外れてはいるけどなんとなく受け入れられて生きてる」人の存在は、フィクションであっても救いになるのかもしれない。

どんなに「まとも」に生きている人でも、あるいは生きているほど、どこかではみ出したいと思っているものなんじゃないだろうか。本当にレールを外れるのは嫌だけど、フィクションの世界で誰かがそれを体現しているのを見て、疑似体験してスッとする。そういう体験って大事なのだと思うし、だから自分は架空の物語に過剰な道徳を求める気にはなれない。件のフランス映画は問題描写を数多く含んでいるらしいが、それを規制しないあたり、お国柄が出ているなあと思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。