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今日のフムフム

 今日の読書は、本好きのおばさんの選書。段ボール箱に入って、季節のジャムと何冊かの本が送られてきた。『世界はフムフムで満ちている』『ミス・マープルと13の謎』『バナナの皮はなぜすべるのか?』『本屋になりたい』などなど。
 
 その中の「フムフム」と「ミス・マープル」を読んでいる。マープルおばさんと言えば、天才アガサ・クリスティが生んだ名探偵だけど、実のところよく知らない。アニメになってたのをちょっと見たことがある、それくらい。
 
 書かれた13の謎はどれも短編完結型で、細切れの時間で読み切れた。アガサ描くマープルは村を出たことのないおば(あ)ちゃんなんだけど、人間観察に長けていて、なんでも言い当ててしまう。
 狭い世界に暮らしていても問題ない。人間はどこの世界だって変わらないんだから、小さな村にはすべての人間関係が詰まっている。

 日常にドラマがないと思うのなら、それは自分の観察力が足りないだけなんだろう。本当はどんなに小さな世界の中であっても、人がいる限り何かがうごめいている。それを見つけられる人と見つけられない人がいるだけ。自分は後者。


 『世界はフムフムで満ちている』は、いろんな仕事をする人の話を、コンパクトに見開き2ページにまとめている。見開き2ページだ。文庫本で。完全にエッセンスしか伝わらない量。抽出の仕方がおもしろい。
 
 中に「プラモデルメーカーの社長」という項があったから引用してみる。この項目はこれで全文だ。ガンダムのプラモデルを愛する職場のおじさんたちの顔が浮かぶ。奥さんによく怒られるって言ってたなあ。

つまりボクらはオタクの集団です。
プラモデル狂いの成れの果てです。
子どもの頃は親に叱られ、結婚したら嫁に叱られ、ね?
誰も褒めてくれない行為ですよ、プラモデルなんていうものは。
それを仕事にするんですから。
金儲けなんか最初から考えちゃいません。
 
それで、ロシア軍用機プラモの図面を書くために
モスクワの軍事博物館まで出かけていくというような
完全に採算度外視の商売をしている。
その商売が、不思議とうまくいっている。
 
人様から「馬鹿じゃねえか」と言われてナンボ。
そう言いきって、昼下がりの青い空、すがすがしい。

金井真紀『世界はフムフムで満ちている──達人観察図鑑』ちくま文庫、筑摩書房、2022、pp.148~149.

 この調子で「羊飼い」「眼科医」「寄席文字書家」ほか、100の仕事が並ぶ。「哲学者」もないかな~と探したけど、これはなかった。職業として名乗るには難しいからなのか、単にインタビュアーの観測範囲の中に哲学者がいなかったのか。
 
 前に哲学科の先生が「自分を『哲学の研究者です』って言うのはいいけど『哲学者です』って名乗るのは、ちょっとためらいがある。それは『歴史学者』とか『数学者』とか言うのとは全然別のことだと思うんです」と言っていた。
 
 全然別のことだ、と私も思う。哲学者は職業というより、生き方そのものを指していて、誰も安易に名乗らない。思うにあれは自称できるものではなくて、他人が「あの人は哲学者だ」と言い、空気の了解が得られたときに生まれる肩書きなんだろう。
 
 哲学の研究者にも当然いろんな人がいる。大学にいた頃、それは「研究者寄り」「教育者寄り」「哲学者寄り」の三つのタイプに分けられると思った。論文を執筆し学会発表をするときに輝くタイプと、指導する教授・教育者として優れているタイプ。
 そして最後が「哲学者」、生き方そのものを教えてくれるような先生。幸い自分が学生時代にお世話になったのは、このタイプの人たちだった。
 
 「哲学者」になる試験はないし、なる方法も確立されていないけれど、そういう肩書きこそがその人の本物の称号なんじゃないか。職業としての肩書きじゃなく、周りから名付けられるものは、自称よりも真実に近い。
 
 


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