見出し画像

煽りは救いにならない

対立を煽る人たちっていて、それに乗ってしまう人がいて、見ていると「なんだかなあ」という思いになる。誰と対立しても誰を敵視しても自由だけれど、その結果どこに行くつもりなんだろう。誰かを憎んだり叩いたりするだけで、どこに行き着けると言うんだろう。

それは「憎しみは何も産みませんよ」という、道徳的な話とは少し違う。そうじゃなくて、「その憎しみや対立、下手したらあなたの人生を破壊していませんか?」みたいな、傍観者による老婆心と心配だ。

例えば「男性/女性は常に恵まれている」と主張する人たちがいる。一方は「私たちの生きている世界は男社会。男性なら何をしても許されて、女性は常に不利を強いられる」、もう一方は「女性は優遇され過ぎている。どんな横暴も女だからという理由で許されて、男性のする辛い思いをまったくしていない」と言う。

そうして、苦しんでいる人に寄り添いながら「あなた(女性)が辛いのは、男性のせいなんです」と囁きかけたり、「あなた(男性)が苦しい思いをするのは、あの女性たちのせいなんですよ」と訴えたりする。苦しい人は、藁にもすがる思いでその思想にしがみつき、相手側へのヘイトをまき散らし、周囲に「危ない人」と認定されて孤立していく。あるいは、同じ過激な思想の持ち主と徒党を組んで生きていく。

確かに、男性が優遇されがちな場面もあれば、女性だからと許されることもあるだろう。だけど、だからといって「男ばかり優遇されてずるい、憎い」「女のせいで俺が苦しめられている、あいつらはクズだ」と言うのは、自分のために止めておいたほうがいい。冷静に考えて、男性/女性だからって、誰もが恵まれ優遇されているはずがない。それは、恵まれていない人たちを、見なかったことにしているだけだ。

「マッチングアプリを使ってるけど、女は平気でドタキャンやブロックをしやがる」と怒っていた人。それは男性でもやる人はたくさんいますし、そのせいで傷ついている女性もいます。「海外ではこんなにジェンダー理解が進んでいるのに、日本の男は」と主張していた人。日本は若い女性が夜でも安全に(性犯罪に遭う確率低く)街を歩ける、世界でも数少ない国です。

世の中には「あなたが苦しいのは○○のせい」とわかりやすい回答を与えてくれる存在はたくさんいるし、それで商売している人もいる。だけど、○○を憎んだまま生きていて何か変わりますか。それを煽る人の肥やしになっているだけだったりしませんか。

今日は性別による対立を例に出したけど、○○に入るのはなんだっていい。政府かもしれないし、国の名前かもしれない。そうして「悪いのは○○で、あなたじゃない」と言ってくれる人はきっと世の中にたくさんいる。いるだろうけど、それに安易になびかないほうがいい。その○○が変わらない限り、自分は不幸で居続けると認めたようなものだ。誰かにそんな風に、自分の生殺与奪を握らせるべきじゃない。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。