日常は戻ってこないって、誰もが薄々気づいてる

スーパーの店員が、買い物かごの持ち手を拭いていた。ひとつひとつきちんと。レジに並ぶ人たちは皆、おのおの距離を取っている。パーソナルスペースが人より広い自分にとっては、こればかりは今のほうが心地いい。

政府の対応はやや遅いけれど(給付が間に合わなった飲食店が潰れ始めている。見ていて辛い)、市民レベルでは日本は健闘している。恐れていたほどのパンデミックは起こっていない。医療関係者やゴミ収集者の働きぶりも感謝に値する。一番ねぎらわれるべきは彼らだろう。

そう思う一方で、自粛のいろんな側面が辛くなってきている。何が辛いのかよくわからない。人と対面で会えないことかもしれないし、本屋と図書館が閉まっていることかもしれない。「これが収束したら会おうね」と言っていた人たちは、実際にはもう二度と会えないかもしれない。そろそろ皆きづいているはずだ、わかりやすい収束の日なんて来ないと。「これが終わったら」なんていうのは、ほとんど現実味のない台詞に過ぎないと。

この状況が普通なのだ。そういう想定でモノを考えないといけない。

いま考えているのは、対面が許される条件について。場所の換気をよくして、人との距離を保ち、手洗いうがいを心掛けるなら、対面での接触は解禁されていいと思う。それが不要不急であっても。

複数人での食事なんかは難しいけれど、距離を取る場所を確保した上で、少人数で集まるだけなら問題ない。あとは自分が罹患している可能性を考えてマスクが必須であるのと、定期的な水分補給(ウィルスは胃酸には敵わないので、胃に流し込むのが一番と言われる)をするくらいか。これはインフルエンザが流行っている時期でも同じだった。

とても簡単にまとめると「衛生管理のレベルを引き上げた上で、元の生活に戻せるところは戻していく」が今のところ最適解かと。図書館に関しては、オンラインでの予約の受付と、窓口での資料の受け取りは再開されていいんじゃないかと思う。そうすれば、不特定多数の人が、本を手に取って棚に戻す際のリスクは背負わずに済む。

いま自分にできることはそれほどないけれど、上に書いたような意見を行政に送ることはできるのでそうしている。何よりもまず「何が苦しいんだかわからないけど、なんか辛い」というこの状況で、それでもできることを続けていかないと……。先が見えないのが辛いのか、突然日常を奪われて適応できていないのか。ならどうやって苦しくない状況に戻していくか。こういうときは、一人で悩むより他人の手を借りるのがいい。とりあえず連絡の取れそうな人と、作戦会議をしようと思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。