「品がいい」は飽きない。でも「品」って何?

「アホで品よく。品のいいものは、見てて飽きないでしょ」と言ったのは、阿波踊りの名手だった。見てて飽きないことと品のよさ。確かに関係がありそうだ。

いま、職業としてのユーチューバーが流行っていて、就きたい仕事ランキングでも人気が高い。彼らのすることは延々と一発芸をやっているようなところがある。上品なものはほとんどなくて、刺激が強く、一瞬で消費して流れていくような娯楽。人を楽しませているだけすごいけれど、そういうのってあんまり好きじゃないなあ。

品がよくて、穏やかで、長く持つもの。延々と見ていたって飽きないもの。自分が好きなのはそういうものだ。強いインパクトがない代わりに、いつ見ても楽しめる。そういう、長持ちする愉しみ。

そんな人間だから「これで人生一発逆転狙うぜ!」みたいな体温の高いことは向いてないし、周囲からも「執着が強い……じゃなかった、粘り強い人よね」と言われることがあるから、実際そうなんだろう。自分では飽きっぽいつもりでいるけれど、大学で専攻した哲学を続けて今年で7年目になることを思えば、しつこい性格なのかもれない。

「品のいいもの」に話を戻す。

上品なものは飽きない。それはわかるけれど、私たちは何をもって「品がいい」と判断するんだろう?

動作が丁寧であること?少なくとも下品ではないこと?それなら逆に下品ってなんだろう?辞書(広辞苑)には「品の悪いこと」としか書いてなくて、だからその内訳を説明しておくれよ、と思っている。

「下品」には他に「劣った品物」という意味もあるらしい。確かに「品」は商品のことでもある。うーん。もともとは商品について質の優劣を言う言葉だったのが、人間にも使われるようになった──ってところだろうか。

そう思って漢和辞典を引いたら、階級という意味合いも出てきて「ああ、そういえば品位って言葉もあるか。身分や地位に関係してるのか」と合点する。上品は、綺麗とか優雅とかいう以前に、位が高いことと関係があったんだろう。少なくとも昔は。

外国語を見てみると、英語・フランス語は言わずと知れた「エレガント」、ドイツ語だと「文明化された」みたいな表現になる。基本的に「優雅」「洗練された」というニュアンスになって、あんまり「品」という語感はない。「品」に込められた意味は、日本語特有の何かなのかもれない。

こんな風に「なんとなくわかっているけど、実際それがどういう意味か聞かれると答えられない」ことはよくある。でもそれは全然悪いことじゃなくて、むしろ思索はそこから始まるのだ──そうハイデッガー(※)は言った。

そう、なんとなく知っているくらいでいい。そこから自分なりの答えを見つけていくのなら、それこそが「考える」っていうことだ。


※20世紀ドイツの哲学者。主著『存在と時間』。入門書はこちら

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。