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赤ちゃんと子宮頸がん

もうノートの存在を忘れかけたところで浮上するのがお決まりになってる。

家を買ってそのままか。
あれはそう、誕生日から1週間後のこと。

母と会話してた時。
『生理前に胸が張って痛くなって、生理始まるとどんどん落ち着くんだけど、なんか今回はずーっと胸張ってるんだよね。痛くて仕方ない、シャワーも無理すぎて腕でガードするもん。早く生理来ないかな。あと夜おしっこで起きちゃうんよ、膀胱炎再発したかな?』
「大変ねぇ。それでまだ生理来ないんだ?」
『そうなんよ、早く来ないかなぁ〜遅れてんのよ〜』
と返事したところで、自分でおや?となり
帰り道にドラッグストアで妊娠検査薬を買って帰り、
『いやいやないない騙されない、もう何度も騙されてきたんだから』と独り言を言いながらトイレのドア全開で用を足していたら陽性反応が出た次第である。

同棲してから『どうせもう結婚するだろうしいいだろう』と避妊しなくなってから2年半以上。
もう30半ばな私は妊娠できないんだろうなと思っていた。諦めていた。
陽性反応が出た時は『はっ…』って息が止まったし、その直後信じられないのと嬉しいのとでニヤニヤして『えぇーまじかー!』と凝視して、次の瞬間には(怖い…子供産むの怖いよ…股裂けたくないよ…)と思考が巡り巡った。
でも妊娠したのにほっとしたのと嬉しかったのとで、その瞬間は『なんとかなる!どーにかなる!産んでやるから無事育て!ようこそ!』と思ったんだ。

私はとにかく”流産したら”と考えるだけでショックで、
もしそうなっても大丈夫なようにひたすら心の中で予防線を張ってたし、
産まれるまで周りの人には言わないほうがいいかもしれない…と思ったのだけれど。
なんでこんな私のもとにわざわざきてくれた子を隠すようなことをするのか。今腹に存在してるのに。
そんなことしないで、何があってもいいから、今ここにいることを喜びたい、誰かと共有したい。この子が生きてるんだぜって言いたい。
そんな気持ちで隠すのはやめた。のだがしかし。☜笑

妊婦健診の中で子宮頸がん検査があり、それに二度ひっかかってしまい、コルポスコピー検査をしたところすぐさま電話が来て『思っていた以上に悪い結果が出ました。表面のガンっぽいのですぐMRI撮った方がいいかもしれないです』と言われ日程を決めて、電話を切って色々な思いが巡り怖くて泣いた。

MRIを撮る前に電話がまたきて、至急入院してほしいと言われた。その時の電話と、後ほどの面談の内容はこんな感じ。

◎私の子宮頸部表面にあるそいつが、いったい身体のどこまで食い込んでるか分からない。MRIも撮るけど早急に入院して手術を受けて、切り取った部位を見て、結果によっては子供を諦めてもらうかもしれない。子供を下ろせる週数は決まっている。
入院と手術・そして結果が出てもし私の体を最優先にしなければならない程進行していたら、また入院して中絶する。
そこまで考えると中絶できる週数もギリギリだから、酷なようだが今のうちに最悪の事態も考えて旦那さんと話し合っておいてほしい。◎

それが12月後半のことだった。
突然翌日入院してくれと言われて、本当に入院してMRI撮って、
その翌日手術を受け、その翌日退院した。
簡単に書くとこんな短くなるのに、この数日の間にどんだけ泣いたか分からない、怖かった。
ガンが身体の中にいるとか、死ぬかもしれないとか、子供をここまで育てたのに諦めるとか、意味がわからなすぎて。
医者も期待をもたせないように仕方ないのかもしれないけど、基本はおろす方向で話してるし
エコー撮ったりNSTやるのも検査のためで
誰も赤ちゃんについて笑顔で話を膨らませようともしない。
退院しても結果が出るまでは絶望だった。

クリスマスの後~大みそかの前には結果が出て、「CIN3 断端陽性」と申告された。
『ギリギリです、これより先だったらすぐ子供を諦めてお母さんの治療に入らねばならないところでした。この結果も断端陽性と出てるので安心はできませんが、一応はどうするか選べます。治療するのか諦めるのか。』と言われた。
前日までの時点で「妊娠断念と言われない限り諦めずに妊娠継続しよう」と夫と話して決めてたのでそう返事した。

ひとまずはほっとした。
断端陽性。つまりは切り取った組織の断面にその良くない細胞がいる、見えている。ということは私の体にも残っている。
そしてその細胞が身体のどこら辺まで侵食してるのかは分からない。
もう一種のギャンブルです。
心配してくれてた友達と親に結果をウキウキで伝えたら
"何それ安心できないじゃん"って空気をビシバシ感じた
(そりゃそうだ治ったわけじゃないし)
私はもう無事産めりゃそれで良かった。

”無事に産めさえすれば、どんな治療でも取りかかれるから。だから神様お願いだからせめて無事に産ませて”と思ってた。この時点で本当に無事に産まれるまでは親しい人以外に妊娠のことを言わないでおこうと決めた。

ちなみに手術してから結果が出るまでは普通3~4週間かかるんだけど、これも私はリミットがあるから『とにかく時間がないので病理検査も最優先でやってもらいますから』って言われて、ほんと1週間くらいで結果出たのよね。
嬉しいような嫌なような。

そんなこんなで、定期的に傷跡を見たり、子宮頸がん検査をして様子を見たりで4月になり。
私の元からあった筋腫が少し大きくなってしまったこともあり、
安全を考慮して誘発分娩になった。
1日目はラミナリアを6本挿入され安静に過ごして、
翌日に誘発分娩を開始。
先生が子宮グリグリしたことでムリヤリ破水し、全く陣痛が起きないまま3日過ぎ、4日目は薬を変えたけどそれでも変わらず子宮口も開かず、「血液検査の結果、破水して数日経ってるからそろそろ炎症反応も出てきてるから赤ちゃんの安全のためにも帝王切開に切り替えます」と言われて
『破水させたのはあの産科医だろうがぁぁあ!!したんじゃない無理矢理されたんじゃあああ!!!』と心の中で叫んだ私だった。

でももうメンタルが限界だったので良かった。
4日間、毎日違う先生が来ては消毒液を垂らして手を突っ込まれて。
股は血まみれで。それが朝と夕方。
しかも大学病院だから下を育てるためか知らないけど
必ず先生と若手のセットでくる。
だから朝2回、夕方2回グリグリされて、それが4日間、計16回続いたわけで。
しかもこちとらずっと入院してるのでヒゲも足の毛もボーボーに生えてくるわけよ。その状態で大股を開くし。
しかも手を突っ込む際に先生が顔面近くまで来るぐらい、顔も身体も接近するわけで。
『これは医療行為、ここは病院、仕方ない』って言い聞かせないと正気保ってらんないわけよ。
もう何もしてなくても股は常に痛いじゃん。血は出てるし、破水させられてるから風呂も入れない、急に陣痛くるかもしれないから陣痛室に泊められて、急に倒れるかもしれないからコンビニに行くのも車椅子に乗せられて1人で行けない。ご飯はまずい。
点滴つけたやつが下手だったから何個も穴あいてて痛いし、毎日採血するから穴だらけだし、基本下手な人だらけで内出血だらけ。

右手も酷かった


ずっとお腹にNSTを付けててトイレに行くのもいちいち外してもらわないといけない、助産師さんがくるたびに『どうですか』と聞かれて、1日が終わるたびに『明日は産めるといいですね!』
笑顔でそうですねと答えるしかできないし、
1日目に担当してくれた助産師さんや看護師さんが3日目とかにまた来たりして『まだなんですね…大変ですね…!』と言われるのも辛かったし、
他の部屋では早々に出産し終えた妊婦さんの声が聞こえてきたり、早く家に帰りたいしでもう全部が辛くてメンタルやられてしまって。
帝王切開って聞いて"やっと終わる"って思っちゃったもん。

麻酔の同意や注意事項、手術室に運ばれてから麻酔効くまで、手術が始まるまでは、もろもろ年末に体験したのと同じだったのでベテランの気持ちでいたのだが。
今回は切られるのがお腹。しかも子供が出るサイズ。
笑顔で話してたけど普通に怖くて震えてた。
それが手術中と術後はすごい歯がカタカタいっちゃうくらいの、肩が動いちゃうくらいの震えに変わってて、後で知ったけど手術に熱はつきものらしく、
私も38度の熱が出ていたそうだ。
病室に戻ってきてしばらくしてやっと震えが止まった。
翌日には下がったし全然自覚症状もなかった。

手術開始してから4分くらいで娘が生まれて
ギャーーーー!!!!と素晴らしい泣き声を響かせ。
かと思えば呼吸が下手だったらしく小児科に入院ってことで消えていった。帝王切開ではよくあるらしい。
まぁ子供が生まれてきた記事はまた別にする。
娘が出てからの方が処置が長くて、やっと手術終わって帰ってきたら2時間おきに看護師さんが来て、子宮収縮の状態を見るためと、悪露を出すためにお腹を押してくるんだよな。
当日麻酔が効いてても痛いのに、翌日と翌々日が一番痛かった、地獄。
息吐いてくださいって言われて息吐いてる気でいるけど
実際はフゥゥゥって言いながら痛すぎて息止まるし、
お腹を庇って力入っちゃうよね…
看護師さん達も『痛いですよね、ごめんなさい』ってみんな言ってた。
切った腹の痛みは基本ずっとあるし一定で痛いから"仕方ない"で済むんだけど、お腹押すのは故意だし、押したらそりゃ痛みが発生するじゃん?あれが一番辛いな。帝王切開と入院で何が一番辛かったか聞かれたら『お腹を押されること』って答えるわ。

腹切った状態で赤ちゃんに会いに行き、5日で退院。
この時はだいぶ歩けるようになったと思っていたけど今考えると全然歩けてない。笑
よくあんな状態で退院できるな…

本当に色々あったなと思う。
ずっと『私健康!風邪とかひかん!元気すぎて困る!』とバカみたいに言ってる人生だったので
子宮頸がんで手術するとか筋腫のせいで誘発分娩とか
帝王切開で腹を切るとか
こんなことするハメになるとは思わなかった。笑

普通に検査も問題なくて出産予定日付近に『う!陣痛が!』ってあたふたして病院で股から産むものだと思っていたのだよ。
人生何があるか分からないな〜

ちなみに子宮頸がんの方は、産後の検査の結果、
今のところは異常無しと言われた。
『断端陽性と言われてたんですが?』と聞いたら
『傷口も焼いてるし、それも焼けてなくなったんじゃないですかね』ってケロッと言われた。
え、そんなラッキーある!?笑

そんなこんなでひとまずは3ヶ月に一回、子宮頸がん検査をしていくということで落ち着きました。

ちなみに3ヶ月に一回は多く感じるかもしれないけど、
私は1月か2月に検査を受けて異常なしで、
次10月にして再検査→再検査→コルポスコピー検査→MRIおよび入院になったので
多分子宮頸がんって悪くなるのが早いんじゃないかなぁ?
他の人の体験記とか読んでてもそんな気がする。
だから3ヶ月に一回は全くやり過ぎではなく妥当な気がする、特に私は一回なってるから余計に。

これをたまたま読んだ人も、めんどくさがってないで、
近々行こうって気になってもらえたら嬉しい。
元喫煙者なら尚更。
なんでもHPVウイルスってかかり続けると悪いがん細胞に変化していく、、、らしいのだが(私の理解はそんな感じだけど違ったら申し訳ない)
大体の人が、悪いがん細胞になる前に、正常に戻るらしい。
それが正常に戻らないのが喫煙者又は元喫煙者の方々。
煙タバコでも電子タバコでも関係なく、一度でもタバコ吸ったらだめなんだと先生から聞いて、元喫煙者な私は肩を落とした。

吸ってるときは長生きなんてしないと思ってた。
今が楽しければいいし、将来病気になる可能性があるなんて聞いてもフーンとしか思ってなかった。その結果が今である。
喫煙者又は元喫煙者の方々は定期的に検査に行こう。
それにワクチンが怖いって言ってる人は、確かに私もこうなってなかったら
打ってなかっただろうし打とうとも思ってなかった。
でも考えてみて欲しい、検査に行ったはずなのに、問題なかったはずなのに、いきなり入院して手術する怖さ。
麻酔も痛いし。こちらからは見えないけれど感覚では分かる、
両足をがばっとひらいて機械で固定するんだわ。
パンツ脱がされて大股開きで細胞切られて最後は焼かれて止血ですよ。
私、過去に戻れるならたばこ吸わないし、ワクチン受けたいよ。
性交渉あるなら誰でもなる可能性はあるからね。ゴムでは防げないからね。
娘が受けられる年齢になったら受けさせたいもん。
こんな思いはしてほしくないよ、阻止できるならしたい。

どうか全ての女性が正確に情報を仕入れて、打つか打たないかを自分で選択する・考えるっていうのが当たり前になる世の中になってほしいな。
それこそもっと中学校くらいで性教育の一環で授業でまとめて教えた方が良い。

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