不倫や浮気がなぜ悪いか、のポイントを掘り下げてみたら皆幸せになれるのかも
「不倫」という「言葉の響き」がまず嫌いだ。
なんで嫌いなのかしら。「不倫」が悪い事だから嫌いなのか。「不倫」という言葉で行為を否定することが気持ち悪いから、だから嫌いなのか?
まあ・・・・どっちもあるかな。
「不倫」「浮気」「二股」これらは世間で「悪」として叩かれるべき行為として存在している。
じゃあ、なんで「悪い」のか。
ここを徹底的に考えてみた。
1,配偶者以外と恋愛、肉体関係を持っているから。
ここの本質。本当に悪い事なんだろうか。ちょっといったん、保留にしてみよう。
2、嘘をつかなきゃいけないから。
嘘はつらい。自分も辛いし、他人を傷つける。うん、良くないことだ。
3,自分の幸せや快楽が、誰かの不幸や犠牲の上に成り立ってるから。
そりゃあかん。誰かを不幸にしたら悲しい。
じゃあ逆説的に
嘘をつかなくて良いし、誰の事も不幸にせず、みんなが幸せなら、特定の配偶者以外と、恋愛関係を結んだり肉体関係を持ったって良いのではないか。という仮説が成り立つ。
「いやいやいいや、ないないないない」と突っ込みたくなる気持ちをいったん静め
「特定の配偶者とだけ」恋愛したり性的な関係を結ぶことが正しく、それ以外が悪、という観念、または、感情はどこから来るのか?という事をちょっと考えてみたい。
まずは観念や概念の話。
大昔(縄文時代)は、人々はコミュニティーで共同生活をしていた。
その組織は丸い組織で、縦じゃなくて横で繋がっていて、ピラミッド組織ではなかった。みんなの子供をみんなで育てていた。恋愛もセックスもオープンで自由だったといわれている。
その後やってきた家父長制度の中で、「誰か偉い人」を頂点とした組織ができあがり、「誰か偉い人の子」だとはっきりわかるような子供を産む必要が出てきて、それで「一対一」(または一夫多妻、つまり男の精子の出どころだけはちゃんとわかるような仕組み)が推奨されて
それがなんだか知らんけどこの令和までたまたま続いてるって話だと思うのよね。
とくに1970年代、戦後の高度成長期を経て団塊の世代が結婚する頃には、「総婚・総産」「核家族」が顕著になって・・・・。
まあ・・・・私たちが「当たり前」と信じ込んでるその「一対一のパートナーシップ」って、ちょっと昔に(縄文より後)誰か権力のある人が、自分の権力を守りたいたが為に作った制度なんよ。
それを頑なに今でも「正しい」と信じているっていう、それだけの話。
それだけの話!? いやそれだけじゃないっしょ!と突っ込みたくなったよね。
では続いて「感情」の話に行ってみよう。
パートナーが自分以外と恋愛や性行為をするのはやっぱり嫌、許せない、という感情は一体なんなのか。
私自身に掘り下げて考えてみた。
嫌!!嫉妬!!!という感情の正体は
「ずるい」だった。
え????「ずるい」??
普通、「楽しい事」や「嬉しい事」って、人にシェアしたいって思わない? 素敵な映画や音楽を、人にも薦めたいって思ったり、一度行って美味しかったお店を人に紹介したり、一緒に今度行こうって誘ったり。この化粧品すごくいいよとか、あのマッサージやさんめっちゃ上手だったよとか。
それらを人に「シェア」することには全く抵抗ないのに
なんで
「彼との恋愛は最高にハッピーなんだよ。あなたもどう?」「彼のセックスは気持ちよすぎて融けそう。あなだも是非」って言えないんだろう?
それは「こんな気持ちいい事を他の女に味会わせたくない、独り占めしたい、こんな快楽を他人が味わうのはずるい」っていう感情だったわけ。
なんて浅はかなの?って文字にすると思わない?
で、映画や化粧品との違いは一体なんだろう?って考えたら
やっぱり「有限だ」と思っているからなのだろうな。ってことに行き着いた。
映画や化粧品や美味しいお店は、お金を払えば誰でもその対価としての「幸せ♪」を味わう事ができるけど
「彼」の愛とかセックスは「有限」だから、誰でも味わえるわけではない。というところ。
結婚してる人なら愛だけじゃなくて、「彼の財力」とかもそうかもしれない。年収が1000万円だったら、一文たりとも他の女には使わせたくない!全部自分と家族に使え!っていう感情。
でももし、縄文時代みたいに、丸く循環してる社会だったらさ
一人の人の愛や財力がたとえば半分に「減って」(るように見えて)も、他の人からまたさらに愛や財力が与えられ、それを自分も誰かに与え、そうやって循環していけば、愛や財はけして「減らない」で、循環してるだけってことに気が付く。
「不倫は悪」という当然のようにまかり通っている価値観を、まったく一回更地にして、考えてみたとき
「他の人と恋愛や性行為をすること」は、本当に本当の本質で言えば、実は悪い事じゃないんだとわたしはここで気が付くわけで。
じゃあなんで悪いのかっていうと
やっぱり
「嘘をつかなきゃいけない。そのせいで自分も、他人も傷つけ不幸にしてしまうから」なんだなってことに、自分の中で終着点を見つける。
嘘をつかずに開き直ればそれで良いって言ってるわけではもちろんなくて、全員が幸せになれる方法がきっとあるんじゃないかなって話。