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おばあの生き様

年末、おばあちゃんちに行ったんだけど、私は人の家に泊まるのとかが好きじゃなくて、おばあちゃんに日帰りで帰るって言ったらおばあちゃんが怒った。なんで怒るの?って合わないなーとか思ってたけど、
年が明けて、今日おばあちゃんとランチに行った。伊勢丹で韓国料理を食べながらたくさん話をした。

おばあちゃんは「人は話をしないとわからない」って言ってて、だから私が早く帰ることが嫌だったんだと思った。ほんとうにその通りで、なんなら私はおばあちゃんのことをなんにも知らなかった。自分より年上の両親や祖父母、兄弟のこととかって、知っているようで全然知らなくて、知ったら自分と似てる部分とかたくさんあっておもしろーと思う。お正月どちらのおばあちゃんちも行って、いとこ家族とかも来てて、お母さん方の祖父母一族はみんな、なにがあっても大丈夫って笑える明るさがある。お父さん方の祖父母一族は、バイタリティがあって、常になにかできないか考えてる。どっちのスピリッツも私にあると思うとなんか急に自分が無敵に思えた。そこにプラスして自分の個性や出会いがあるんだな〜としみじみ。

今日会ったおばあちゃんは、バイタリティ一族のほうで、専業主婦になったけど、自分はここに生きてるということを社会を作って証明したくて、高齢者ボランティアを始めた。でもそこで支援している高齢者よりも、ひとりでお家で死んでいってしまう高齢者のことを学び、その人たちに何かしてあげたいと思った。自分にできることってなんだと思ったとき、ご飯を作ることは得意だったから、献立を考えてご飯を作って配った。それだけじゃ社会に活動を残すことはできないから、市と連携してNPO法人を立ち上げ大きくした。らしい。私は全然知らなくて色々なところでご飯を作りに行ってるから大変そうだなーーくらいに思ってたけど、すごく素敵だと話を聞いて思った。どこが素敵かって、おばあちゃんが自分にできることで、したいことをしたっていうところ。自分にできないことを高望みしてしまうことは多いけど、みんな何かしらできるんだ!そしてそれで少しだけ稼いだお金を自分はおじいちゃんに生きさせてもらってるからと、私たちのために貯めてくれたりもした。そんなおばあちゃんは、自分のできることを知っていったりもっとできるかもって考えるのが楽しかったって言ってた。

それぞれの個性があってできることがあって、生きてる意味を見つけていっている。
おばあちゃんくらいの歳になって、やっと何か成し遂げたりとか、語れるんだと思った。
若者はみんな共に嘆いて、影響し合って、自分のしたいことできることを見つけていく。だから今カッコつける必要はないと思った。

人の言葉は強いし、できること探して、懸命に生きていればいいんだ〜と思ったおばあちゃん氏との会合でした。

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