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書いているときの幸福感と読まれた時の幸せ

 小説と呼べるようなものを書き始めたのは2020年くらいだったと思う。ふと日常に起きた不条理から妄想を書き連ねたら物語になった。当時は作法をまるで知らなかったので、読み返すとかなり恥ずかしいものなのだけれども、そのときの幸福感は今でも持続している。いつまでたってもそれが愉しくてしかたがない。
 そして同時に書けないときの辛さも体験することになる。これは俗にいうスランプとは違って、物語の続きが見えなくなるのだ。新しいものを駆けなくなるのも前が終わっていないからであって、諦めれば次に取り掛かれる方だと思う。

 僕の気質は物事を掘り下げることに関心を持ち、広く知ることを目的とはしない。知識は広いにこしたことはないし、何事も見るのと聞くのと、そして体験するのでは違うということも知っている。
 書くことの原動力は広く知ることよりも深く掘り下げるほうであるが、掘り下げるためには技術が必要だ。それが至らないところまで掘ってしまうとそこで行き詰まってしまう。

 物語の舞台はできるだけ現代にしたい。現代には現代の難しさがあるが、自分が生きていなかったころの話は膨大な知識と想像力が必要となる。リアリティに拘っているわけではない。登場人物の行動原理を決めなければ彼らは何も語ってくれない。

 そう、僕は僕が生み出したキャラクターたちに物語を勧めさせている。プロットは書かない。オチも考えない。彼らがどうしたいのかに耳を傾けて、その声を代筆しているに過ぎない。それがいいやり方なのかどうかはわからないが、僕にはこの方法が性に合っている。

 何より書ききったときの幸福感は、学園祭の出し物を企画していよいよ当日を迎えた気分なのだ。仮にそれがお化け屋敷だったとして、客が怖がってくれたらそれは幸せなこと。食堂なら美味しいと言ってもらえたら塩飽汗なこと。でもそれは書き終えた後の幸福感とは別物であり、僕はたぶんそれに酔いしれてしまう。悪癖と言ってもいいだろう。

 学園祭も2年生と3年生では趣向が変わってくる。同じことをやることはない。学園祭はそれ以上続きがないが小説を書き続ける以上、僕はそれを何度も体験できる。これはとても幸せなことだと思う。
 であればこそ、僕の欲はより深くなりどうせ書くのならたくさんの人に読んでもらえた方がいいと思うようになる。どちらかといえば、今、ようやくそうなってきた。

『オートマタ・クロニクル~人形師ダミアンの事件簿』や『猫目尼僧』を書き始めたのは随分と前の話である。前者は完結しているが、物語としては続きを書くつもりだ。『~人形師ダミアンの事件簿』は20世紀初頭、ドイツの都市ブレーメンで起きた二つの殺人事件と主人公ダミアンの両親の失踪に関わる謎の触りが描かれている。次回作はその核心にどこまで迫れるのかということになるのだが、舞台をブレーメンから別の場所、ベルリンなどに移すかどうか、まだ構想も出来上がってはいない。

『猫目尼僧』はそもそも完結していない。関東大震災後、神田明神が焼け落ちてそれを立て直すのに随分と時間がかかったのだということを知り、そこに何かあったのではないかという発想から書き始めたこの作品は、建築や神社仏閣についての幅広い知識を必要としているし、そもそもミステリーは分野として得意ではないだけに、難儀をしている。

 それが愉しい。

 コナン・ドイルが生み出した名探偵に僕はそれほど感銘をうけなかったが、そのモデルとなったエドガー・アラン・ポーの素人探偵C・オーギュスト・デュパンには心底感銘を受けている。少年の頃読んだ『モルグ街の殺人』との出会いは、人形師ダミアンや生き物に名を与えて会話ができる羽佐間剛というキャラクターの作り出すうえで、もっとも影響を受けているし、敬愛する夢枕獏の『陰陽師』に登場する源博雅は剛の友人、長谷川幸太郎のモデルとなっている。

 こんな人が周りにいたら面白い、こんな友人関係は羨ましい、こんな会話を誰かと愉しんでみたい。そういう欲求が形となって現れ物語を紡いでいく。それは友人と愉しく酒を飲みかわすようなもの。彼らとまた会うために僕はその時代の出来事や人々の暮らしを調べ、詳しくもないクラッシックカーのことを調べたり、コーヒーの淹れ方がどう進化したのかも調べる。

 18世紀初頭のフランスを舞台にした作品ではマスケット銃や銀の弾丸は使えるのかということを調べ、その頃の王朝の在り方、国境、地方都市の習慣などをあれこれ調べ上げる。その勤勉さがあったのなら高校受験や大学受験はもっと違う結果がでていたのかもしれないが、そういうことは、なるときになるもの、あの頃の僕には手に余るものだった。

 本を読むのが未だに苦手な僕が人に読んでくださいとは言えないなとずっと思っていた。それなのに書きたい気持ちは相も変わらず旺盛だし、書いた限りは一人でも多くの人に読んでもらいたいと思うようになった。そうなっただけでも、これは大変な進化なのだと思う。

 だからこそ、この二つの作品はしっかりと書き直して仕上げたいと思っている。

とはいえ、これらはそれなりのボリュームがあるので、僕がどんな作品を書いているのか、短時間で読めるのはこちら


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