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降霊の箱庭 ~第十三話~

<前話>


地獄もかくやというほど赤く染め上げられた、教室。
窓の赤い手形は、粘着シートに貼り付けられた虫のように、べたべたべたべたと数を増やしていく。五月の明るい陽光は、その手形で塗り潰された窓を透過した結果、夕日のように赤くなって教室に差している。そして教室内には、赤い血と肉をさらした異形の「犠牲者」たちがうごめき、こちらに危害を加えようと、儀式を邪魔しようと襲い掛かってくる。
達季たつきに近付くな!」
相変わらず大声で校則を叫び続ける「長谷川はせがわ」に、れん三鈷杵さんこしょを突き立てる。
一並ひとなみ君、こっちは心配ないからね!」
床から生える無数の手を、まどかがさかきの枝で打ち据える。
古栗こくりさん! 僕の話を聞いてください!」
二人の奮闘と呼び声に応え、達季は十円玉の上の人差し指に力を込め直した。何があってもこれだけは離さない。たった一本の指の動きが、達季と蓮とまどかを、そして古栗さんをも救う唯一の道しるべだった。
「生きていた時のことを思い出してください! 辛かったことばかりじゃない、それ以上に幸せな記憶もあるはずです! 古栗さんが古栗さんだった過去まで、汚しちゃダメです!」

――ああ。
達季は思う。説得とはこんなにも難しいことなのか。
伝えたいことはたくさんあって、そのどれもが言葉に収めるには大きすぎる感情で。結局何を言おうとも、上辺うわべだけのありきたりな内容になってしまう。

『く る し い』
と、十円玉が連続で動いた。
『おもい で』
『だして』
『かえして』
『どこ に あ る の』
『に く い』『う ら み』
『のろう』
『か えし て』『かえして』




「『……みんな、のろう』」
達季の口が勝手に動く。
「『みんな、ころす』」
低い、低い声だった。




ガタン! と机の倒れる音がした。
見ると、掃除用具入れから伸びてきた長く赤い腕に、まどかの足首が掴まれていた。
バランスを崩したまどかは、そのままズルズルと床の上を引きずられていく。掃除用具入れの中にはどこまでも続く闇が広がっており、腕はそこへまどかを連れ込もうとしている。
ウゥゥ、と獣のうなりにも人の嘆きにも聞こえる風が、闇の奥へと吹き抜けた。
「この、離せ!」
急いで駆け寄ってきた蓮が、全身の力を込めて腕を踏み付ける。
ごき、ぼりっ、と骨の砕ける音がしたが、赤い腕は痛みなど意に介していないらしく、まどかを引っ張る速度も変わらないままだった。
「わ、割垣わるがき君……っ」
恐怖に彩られた顔のまどかが、縋り付くように手を伸ばす。
そこへ後方の闇から勢いよく飛んでくる、もう一本の腕。
「委員長!!」
尖った爪がまどかの眼球に向けて伸ばされる直前、蓮がその間に割り込んだ。
ばしっ、という音と共に、蓮の背に数本の爪痕つめあとが赤く浮かび上がった。

倉闇くらやみ先輩! |割垣先輩っ!」
さっ、と血の気が引いた。

限界だった。
負ける。終わる。全てが呪いに呑み込まれる。
達季にできることは、もう残されていなかった。
「古栗さん! 聞いてください!」
一か八か、叫ぶことしか。
「僕は……分かります! あなたの・・・・気持ちが・・・・分かるん・・・・です・・!!」




瞬間、静寂が訪れた。
蓮もまどかも、教室中の怪異も、古栗さんも、この空間にいる全てが達季に目を向けた。
「分かるんです……」
とめどなく涙が流れる。
古栗さんのものではない、達季自身の涙だった。






「だって、僕も……いじめられてましたから」






それは些細ささいな出来事で。
同時に、とても大きな出来事だった。


去年の初秋の頃の話。
小学校は運動会で大いに盛り上がっていた。特に六年生たちの気合いはひとしおである。
そんな中で迎えた、クラス対抗リレー。
一位で回ってきたバトンを受け取って走り出した瞬間、達季は足がもつれて転んだ。おまけに手にしたはずのバトンは、どこか遠いところへ飛んでいってしまった。
身を起こし、バトンを見付け、再び走り出す頃、順位は目も当てられないところまで下がっていた。結局その差を縮めることはできないまま、最高学年の思い出となるはずのリレーは終わった。
いじめは、その次の日から始まった。


クラスのリーダー格の男子が、達季を教室の前に引きずり出した。
「お前のせいで台無しになったんだからな。みんなに謝れよ」
そういうのやめなよ、という声も上がったが、他ならぬ達季が謝罪を希望した。
事実だと思っていた。これまで練習してきたクラスメイトの努力も、運動会にかける熱も、自分がたった一人で全てぶち壊したのだと。

特に小学校という社会では、運動のできる者がそれなりの注目と権力を集める。主犯格の男子も御多分ごたぶんれず、その腕っぷしで物を言わせるタイプだった。
達季は小突き回され、傘で叩かれ、所持品に油性ペンで落書きされた。球技の授業ではわざとパスを回され、それが見当違いの方向へ飛んでいくと、おやかたきのように罵倒ばとうされた。大人しくて反抗する力もなく、「女みたいな」達季は、彼らからすれば格好のまとだったわけである。


何かおかしい。
ここまでされるいわれはないはずだ。


もちろん疑問に思うことはあった。だがしかし、今の状況が始まった原因は確かに自分にあるので、達季は無抵抗でただ耐えることしかできなかった。
あと半年。あと半年だけ我慢すれば、中学生になって、彼らとも離れ離れになる。
しかし運命は残酷だった。小さな町の小さな中学校、四組しかない学年で、達季はその主犯格の男子生徒と同じクラスに割り当てられたのだ。
「中学生でもよろしくな」
バン、と背中を強く叩かれた時、限界が訪れた。

新入生の新学期早々、達季は学校に行けなくなった。
転校させてほしいと両親に頼み込み、ゴールデンウィーク明けから、父親の職場がある松原まつばらへ引っ越すことになった。


だからこそ達季は驚いたのだ。
転入したクラスで、奈々絵ななえの席の献花を見た時は。
小学生時代、達季の机にも花が置かれたことがあるため、もしやこのクラスにもいじめがあるのかと気が重くなったのである。結局、奈々絵は本当に死んでいて、クラスで遠巻きにされていたのは文美ふみだったわけだが。
その文美を糾弾きゅうだんする雰囲気も、恐ろしかった。いじめの記憶がフラッシュバックして、あの時の達季はほとんどパニック状態になっていた。

さらに。古栗さんの記憶を辿る夢も、初めは単に自分自身の悪夢だと思い込んでいた。いじめへの恐怖が、閉じ込められたり物を隠されたりする恐怖が、記憶の底から夢として浮かび上がってきたのだと。
そう勘違いするくらい、古栗さんの記憶と達季の記憶は非常に似通っていた。
気付いた時、達季は古栗さんにむしろあわれみを抱いたのだった。




古栗さんの気持ちがよく分かる。
下手に同情すれば逆上される可能性もあったが、達季にできるのはもう、自分の真実を正直に語ることくらいだった。
寄り添いたかった。古栗さんの無念に。




いつの間にか達季は、真っ暗な空間に立っていた。
上下左右前後、何もない。ただ延々と続く暗闇。達季はその只中ただなかに、フワフワと漂うように立っていた。
と、目の前の暗闇の一部が揺らぎ、何者かが現れる。
一人の男子生徒だ。古いデザインの制服を着ていることは分かるが、その詰襟つめえりの上、顔の辺りは朧気おぼろげにぼやけて、表情どころか輪郭りんかくすらよく見えなかった。
「あなたは……」
そっと達季は呼び掛ける。

『……手紙』
彼は、ぽつりと呟いた。

『大切な手紙を教室に隠されて、それを探さなきゃいけなくて、なのに出られなかった。気付けば、「悪い人間」を怨まずにはいられなくなっていた』
「…………」
ぽつり、ぽつり、彼の独白。
達季はそれを静かに聞く。
『何も分からなくなっていた。怒りに突き動かされて、たくさんの人を殺した』
「…………」
『こんなことをしても、もう戻れないのに。彼女を……神山みわやまさんを、悲しませるだけなのに』
「…………」
『君は違うよ。僕とは違う。だって君の魂は……綺麗だ。誰も怨んでいない』
「そう、でしょうか」
『そうだよ。だから帰れる。ほら、あっちが出口だよ』
す、と右手で向こうを指し示す彼。よく見ると確かに、遥か彼方の暗闇に一点、小さな白い光が見えた。
出口があるのはありがたいが、しかし達季は気がかりなことがある。彼に目を向けると、彼は小さく首を振るような仕草をした。
『僕は一緒に行けない』
「……!」
ああ、と心に悲しみが広がる。
何となくそんな気はしていたが、やはりショックだった。
『でも、ありがとう。ほんの少しだけど、最後に君と話せて嬉しかった』
「……っ!」
溢れそうになる感情を、必死に噛み殺す。


この学校を救う。そして、彼をも救う。
それが達季の究極の願いだったのだ。
掃除用具入れに閉じ込められ、死後も現世に魂が残り続け、「こっくりさんの呪い」を振り撒く存在へと変貌へんぼうしてしまった彼。できることなら、その終わることのない苦しみを断ち切ってやりたかった。


『早く、行くんだ』
彼は言う。
達季はなおも逡巡しゅんじゅんした後で、ゆっくり一歩、遠い光に向けて踏み出した。
そのまま二歩、三歩、四歩行ったところで振り返る。
「……あの空き教室のどこかに、手紙があるんですね?」
こちらを見送る、彼に向かって。
「必ず見付け出します! あなたがずっと探していたものを、僕が必ず!!」
『……優しいね』
ふ、とその顔の辺りに一瞬、笑顔が見えたような気がした。




達季は今度こそ振り返らず、歩いていった。
光へ。出口へ。これからも、達季が生きていく世界へ。
『ごめんね。本当にみんな……』
遠くで小さく、声が聞こえた。






「達季!?」
「一並君!」
右側と左側から同時に呼ばれる。
何だろう、前にも図書準備室でこんな状況があった気がする。
「…………あ、れ?」
達季は目を開けた。
「よかった、気付いたか!」
「座ったまま死んでるんじゃないかと、心配したよ!」
徐々に焦点があってくる。両側から達季に声を掛けているのは、蓮とまどかだった。
「おい、気を付けろ! まだ十円玉が戻ってねぇぞ」
蓮の言葉に、達季は慌てて机に目をやる。用紙の上、中途半端なひらがなを示した十円玉の上に、自分の人差し指は置かれたままだった。我ながら器用なことだ。
「……ありがとうございました。どうぞお帰りください」
唱えると、十円玉は『はい』に、次いで鳥居の位置に移動し、驚くほど素直に指が離れた。
降霊術の終わり。ハッと思い出して周囲を見渡すが、あれだけ窓をおおい尽くしていた手形も、不気味にうごめいていた肉塊たちも、もう一つとして残っていなかった。

これは、つまり。

「やり遂げたんだよ、私たちは」
まどかが、流石に嬉しそうに笑いながら言った。
「『こっくりさん』は帰った。私たちの勝利だよ!」






<参考文献>
1) 大宮司朗 (2005) 『新装版 まじない秘伝』 ビイング・ネット・プレス
2) 新潟県立博物館 (2020) 『見るだけで楽しめる! まじないの文化史 日本の呪術を読み解く』 河出書房新社
3) 三国信一・土屋輪 (2022) 『調べる学習百科 世界の魔よけ図鑑』 岩崎書店


<次話>


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