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発達障害の「好き嫌い」を大切にする。生まれ持った才能を発掘する方法。

「好き嫌い」というのは面白いものだ。同じ親のもとで、同じ家庭に育っても、好き嫌いは違う。

朝ドラ「エール」の古山裕一と弟は、同じ家庭で同じように育っているのに、裕一は音楽にしか興味がない青年に育っていく。彼は後に大作曲家になるのだけれど、それは親たちが、彼の好き嫌いを最大限に尊重してあげたからだ。

裕一の場合は、できることとできないことの差が激しい。今なら発達障害の烙印を押されるだろう。しかし、何かに熱中できるということは、それが個性・才能の芽である可能性が高い。うまく伸ばせるなら、それが、生涯をかけて、その人の「強み」になるかもしれない。

「知的生活のすすめ」のハマトンもかく語りき・・・

好き嫌いを軽視しない

「 われわれには好んで求めるものとそうでないものがあるが、そうした個人の好き嫌いを軽視してはいけない。というのも、そうした好き嫌いの気持ちがわれわれのもって生まれた能力を最もよく示しているからだ」

シンプルだけれど良い言葉だ。自分が好きなこと、得意なことには、その人の「生まれもった能力」が表れるものだ。才能というのは目に見えないものだし、なかなか発見されないことも多いけれど、何かにハマる・何かに関心を示すということは、そこに、その人の強烈な強みが宿っていることを教えているのかもしれない。

「エール」の裕一は、弟の誕生祝に買ってきた蓄音機で流される西洋音楽にドハマりしてしまう。まだ幼いのに、交響曲のレコードを流すと、蓄音機の前から動かなくなるのだ。作曲の本を買い与えると、徹夜してでも、曲を作ろうとする。ほかのどの分野とも違う「好き」がここにある。

大切なのは、その「好き」を無駄にしないことだ。好きを好きだけで終わらせるのは、もったいないことだ。それは「生まれ持った能力」だからだ。「好き」という感情に敏感であれば、才能を発掘することができる。

苦手なことを克服しようとしない

特に発達障害の場合は、苦手なことが多いだろう。苦手なことを克服しようと努力すると、普通の人の何倍もの労力を使うことになる。しかも、おそらくは克服することは不可能だ。私の場合だと、DCD(超絶不器用)などは、何度チャレンジしても克服できなかった。

夜な夜な逆上がりを練習するために、近くの公園に行ったのを思い出す。大人になってからも、箸遣いを練習するために、箸で豆を持つ練習を積んだ。しかし、これがまた、ほんと、驚くほど上達しないんだ。極論だが、克服できないのであれば、結局、その努力は無駄だったことになる。発達障害には根性論は通じない。

苦手な分野に打ち込めば打ち込むほど、貴重な強みを伸ばす機会を削ることになることを忘れてはならない。発達障害の親は、努力しても伸びない分野があれば、それを「捨てる」選択肢を子供に与えてほしい。また、大人の発達障害であれば、いくらやっても無駄なことが分かっているのだから「あきらめる」ことを学ぶべきだ。

好きなことを発信する

その代わり、自分が好きなことには思いっきりエネルギーを注ぐべきだ。できるなら、それで生きていけるくらい。それで稼げるくらいに没頭しよう。裕一の場合は、国際的な作曲コンクールに応募したことで、才能が周囲にも認められるようになった。ただ、趣味で作曲を楽しんでいるだけなら、日本が誇る大作曲家は生まれていなかっただろう。

ネットが発達して、誰でも情報発信をできるようになった今、どんなニッチな分野でもコンテンツになる可能性がある。最初は、副業でかまわない。好きな分野をブログで発信してもよいし、youtubeなどで発信してもよい。技術的なことが苦手なら、できる人と組めばよい。お金さえ出せば、いくらでも外注できる。

本当に好きなことなら、発信することが苦にならないはずだ。

「好き」のパワーに、どんどん人が集まりだしたらしめたものだ。そこで、世の中に迎合してはならない。とにかく好きなことを推し進めることが大事なのだ。最初は、独り善がりでもよい、とにかく発信し続けよう。それが「生まれ持った才能」を伸ばしきる方法だ。たぶん。


大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq