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現役僧侶の仏式葬儀の内幕暴露本「ぼうず丸もうけのカラクリ」ショーエンK

これ?大丈夫?同業者(僧侶)の恨みを買っちゃうんじゃないの?と気になってしまう。書いたのは現役住職(若くして寺を継ぐことになった)で、税理士でもあるショーエンKさん(誰?)。お金とお寺の関係を赤裸々に(かなりふざけた口調)で書いた本だ。

著者によると、これにより、仏教への関心を深めてほしいとのことだったが、完全に逆効果になるような気がしないでもない。

「この本の「原稿」を書いている間、僕は「バチ当たり」なことをしているのだろうか、とずっと悩んでいました。「お寺って、そんな世界だったの?」と、信心深い人の気持を裏切ることにはならないだろうか・・。お寺の裏側のお話は「知らぬが仏」なのかもしれない、という思いが、たびたび筆を止めます。」(P189)

「5章は多くの日本のお寺にとっては、言ってほしくない情報」ですが、このまま悲しむ人が増えるのは、見ていられませんでした。たとえ、ほかのお坊さんたちから「裏切り者」と呼ばれても、「遺族の方の将来のため」に「勇気」を出して筆を進めました。」(P192)

「これらを、本全体を通して、「愉快なテイスト」でまとめることで、どうしても「お葬式ばかりの暗いイメージ」が強い「お寺の印象」を、できるだけ明るくお伝えしたかったのです。」(P193)

貴重な内部告発の書として(すべてを信じるわけではないが)葬式と仏教の関係をドライに見つめなおすために、私は情報として活用できる面がある。手放しで誰にもおすすめというわけではないが、葬式仏教の実態を知りたい人には貴重な資料になるかもしれない。

仏式の葬儀が高額な理由

お葬式が高額になってしまう理由は、葬儀そのものの料金ではない。主に、儀式部分にかかる費用(接待費・返礼品)、そして仏式で行う場合のお布施や戒名にかかる高額な費用だ。島田氏の「葬式は、要らない」がベストセラーになってから、葬式批判本が多くなっているが、多くは、葬式仏教・とくに高額なお布施批判だ。

著者は、住職の立場から、なぜお布施が高額なのかかを説いていく。「お布施理論」だ。

お布施が高額な理由(お布施理論)

「お布施の金額は、「需要と供給」で決まるわけではないんです。・・・男女の平均寿命の差は約7歳あります。ということは、年の差が離れていない夫婦なら10年以内に次のお葬式を迎えることになります。ある喪主の方は「前回のじいちゃんのときよりお布施が少ないのはみっともないから、今回のときもあのときと同じ金額をおさめます。」と話していました。不況でもお布施の金額が下がらないのは、喪主の方のこのような「複雑な気持ち」も含まれていたんです。・・・このような自尊心や信仰心によって、「お布施」は直接、不況の影響を受けません。」(P27)

「お経の長さや、木魚をポコポコとたたく労働量で決まるわけではなく、えらい坊さんにはたくさん出すのがふつうであり、金持ちもたくさん出さないと格好がつかない」というのが「お布施理論」です。」(P43)

「この25年で、30万円以下のお布施の割合が減って、50万円以上の割合が増えているそうですね。バブルが弾けた後も上がり続けています。・・・その理由とは、【日本人特有の、「恥ずかしい思いをしたくないから」という気持ち】。全員が「平均より少しだけ上」を目指したら・・・当然、平均値は上がり続けます。ここに「足並みを揃える国民性」を見ることができます。お寺も、寄付やお布施については、この国民性に支えられている部分を見ることができます。」(P182-183)

お布施は、本来的(仏教の考えでは)には値段があるようなものではないようだ。感謝の気持ちから、また、自分自身の徳を積むために、お金を喜んで捨てるひとつの修行の形だという。それを考えると、日本のお布施事情には疑問を感じざるを得ない。何のためにしているのか、お布施するほうも分からなくなっているのだろう。

日本のお布施事情は、「見栄」と「世間体」に縛られている。隣近所が、会社の上司、部下、横一列がどれくらいの価格を出しているのかそれを見ながら、少し上、少し上を払うために、どんどんお布施の平均額が上がっているという。日本人は「松竹梅」というランクがあれば、「梅」ではなく「松」を選ぶと言うジョークもあるように、本来は宗教的行為のはずの、お布施が形骸化している実態がある。

島田氏の「葬式はいらない」を読んでいると、見栄と世間体に縛られる日本人の気質が、葬式の高額化を招いていることが痛いほど分かる。

潮流は変わりつつある

日本人にとっての「世間」が、葬式仏教への風当たりを強くし始め「高いお布施を払うのが馬鹿らしい」と考える人が増えている。そうなると、横並びで「みんなの感覚に合わせる」のも日本人的だ。一気に、仏式の葬儀が減り、直葬が増えている背景には、見栄と世間体を大事にする日本人気質もありそうな気がする。

そもそもが「見栄」ゆえにお布施をするその精神構造が貧しい、間違っている、そのことを知らなければならない。著者の視点は、仏教批判というよりも、何も考えずに、仏教・寺を批判する檀家(信徒)への批判ともとることができる。著者は、おちゃらけたテイストで葬式仏教の内幕を暴露しまくっているのだが、あまりに形骸化した両者の関係に憂いを抱いているのかもしれない。ひとつの例をあげている。

自分のお父さんが亡くなったが、菩提寺が分からず(何宗のどのお寺?)
結局、葬儀屋さんが紹介してくれたお寺にお布施を払い、戒名も授けてもらい「40万」を払った。しかし、葬儀を無事に終えたものの、菩提寺とは何の連絡もとっていないため、もめるのは当然。墓に埋葬するためには、その寺の葬式をもう一度上げ直し、布施・戒名を授けなおしてもらうことが必要だったという。つまり、ダブルでお布施・戒名代がかかってしまった。

「お布施を2回払ってしまう、「ダブルお布施地獄」について、この世の閻魔大王である「裁判所」は、こうお告げになっています。「お寺の墓地に埋葬するときには、そのお寺流の儀式でやるのじゃぁ」(裁判例「津地裁」1963年6月21日)ようするに、「埋葬するときは、お寺の住職の指示に従わないといけない」んです。「お布施を2回払うのもしかたがない」ということです。さて、こうならないためには、「事前にお墓とお寺の場所を確認」しておけばよかったのです。」(P161)

この種のトラブルで、裁判になった例もあるが、判例では、お寺側に有利な判決が出た。

だいたい葬儀社が、用意した坊主にお布施・戒名代を払うのも不思議な話だ。戒名というのは、檀家にしか授けられないものだし、菩提寺ではない、その辺のお寺が戒名代を受け取るというのも、不可思議な話。菩提寺の住職が怒るのも無理はない。葬儀社と提携した僧侶がこうした点は注意を喚起するべきだし、そもそも、お布施や戒名代を受け取るべきではなかったのではないか・・・。

それにしても、檀家であることの意味、菩提寺があることの意味、お布施の意味、戒名の意味、こういうことに消費者が無知であるのはよろしくない。仏式葬儀を選ぶのであれば、意味を知っていることは最低条件になろう。

ボッタクられるのは消費者の無知ゆえだけど、葬式だけの自称・仏教徒の弱い関わりが、この関係を招いていることは知っておかなければならない。

#ぼうず丸もうけのカラクリ #ショーエンK #葬式仏教 #葬儀 #ぼったくり #終活

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大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq