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私が小学6年の時だったかな?漫画で「米国建国200年」というフレーズを見て、それを今でも覚えている。アメリカは子どもにとっても印象的な国であった。多感な時代、私は音楽に興味を持った。1975年から高校に入るまではフォークソングの流れをくむニューミュージック、邦楽中心だったが、高校に入ると、友達の影響で洋楽に傾くようになる。
 
マイケル・ジャクソンの「スリラー」は、音楽をエンタメに変えたし、マドンナは、マリリン・モンローの再来だった。文化はアメリカにあるように思えたが、私の好きだったペット・ショップ・ボーイズは、英国のアーティストだったし、a-haやABBAは、北欧のバンドだった。実は多様な文化がそこにあった。それでも、洋楽=米ポップスというイメージが強かったのは、やはりアメリカが私に強烈なインパクトを与えていたからだと思う。
 
大学生の時、トム・クルーズの出世作「トップガン」を梅田の北野劇場で観た。シナリオはショボいのだが、音楽と映像に包み込まれるような感覚を今でも覚えている。コマーシャリズムの国で、その最末端で利用されているアーティストが「物申している」のもアメリカだ。その流れは、木村花さんの悲劇を機に日本でも燃え始めている。
 
英国の小説家、ディケンズが1840年代にアメリカの本質を指摘していた。「米国人は外国人との関係で、少しでもけなされることに我慢できず、いくらほめられても気がすまないようにみえる」
 
アメリカは、週刊誌「少年ジャンプ」だった。つまり「友情」「努力」「勝利」を体現する国だったが、どうやら時の流れと共に変わったようだ。「アメリカン・ドリーム」の次のモチベーションを私たちは創出しねばならない。これは、私たちに与えられた命題だ。

I have a dream. 私の「夢」は、日本に活動家を養成する学校をつくることです。 私の「モットー」は、Life is Art. Life is Play. -生活をアートできるようになれば既に幸せ-