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性格はいつできたのか?

唐突だが質問。

「あなたはどんな性格の人ですか?」

明るい性格?暗い性格?
短気?それとも気長?
繊細かな?大雑把ですか?

まあいろいろあるけど
それなりに

「こういう性格」


という認識はあると思う。

ちなみに私は

めんどくさがり屋
平和主義
でも短気

こんな感じww

良い悪いは別として
何かしら自分の性格に対しての
認知は持っているはず。

では次の質問。

「自分がそういう性格だということを
 いつどうやって知ることができましたか?」

これ答えるの難しいはず。
だってそんなこと意識していないし、
そもそも性格って生まれ持って
身についているものだと思っているからね。

でも必ずあるはず。
自分が短気だと知ったときが。
自分が繊細だと理解したときが。

正確な日にちはわからないかもしれないが
絶対にこのタイミングだというのがある。
それは

1)誰かから「あなたは~な性格だな」と言われたとき
2)自分に似た人が「君は~だ」と言われているのをみたとき

この2つだ。

私たちが自分の性格を認知するためには

「こういう思考・行動はこういう性格と呼ばれる」

ということを知る必要がある。
考えてみてほしい。
生まれたばかりの赤ん坊が

「俺は陰気だ」

と自覚しているだろうか?

それはありえない。
なぜなら赤ん坊の世界に
陰気という言葉ないからだ。

ここから考えると
私たちが性格と呼ばれているものを
認知するためには自発的にはできなくなっている。

情報が必要なのだ。

誰かから指摘されるか
参照となるモデルが必要なのだ。

親から
「お前は飽き性だな」
と言われたとき、はじめて自分の中に
飽き性という性格が生まれる。

テレビドラマを見ていて、
自分によく似た考え方や
行動をする主人公が他の人に

「君は繊細だからな」

と言われているのを見て

「あ!これ私だ」

そう思ったとき自分の中に
「繊細」という性格が生まれる。

こういう仕組みになっているのだ。

つまりなのだ。

自分の性格というのは、
自分の中から出てきたものではなく

誰かから与えられたもの

ということなのだ。

じゃあ他人が自分の性格を決めているのか?

いや違う。そうじゃない。
他人はあくまでも情報提供をしているだけだ。

それを自分の性格だとしたのは
紛れもない自分自身なのだ。

自分が

「そうか。自分はこういう性格なんだ」

と納得しない限り、自分の中に性格は生まれないのだ。

ということは。
自分の性格に対して悩んでいる人は
他人が決めた性格を信じこんでしまって
それで苦しんでいるということになるわけだ。

なんかバカバカしくないか?

自分の人生を他人が決めているんだよ?

だから私はいつもこう言う。

「他人が決めた性格だからいつでも変えられる」

そうだ。
他人が「陰気だ」と言ったとしても
自分が「いや違う。冷静なのだ」とすれば
陰気じゃなくて冷静という言葉が生まれる。

そうなのだ。
「誰かが言った」「何かを見た」
じゃなくて自分で決めていいのだ。

自分で決めたからといって
何も罰せられるわけではない。
何も恥ずかしいわけでもない。
だから
自分の人生の舵は自分で握ろう。
それが幸せに生きるための第一歩だ。