見出し画像

「隣の芝生は枯れればいい!」と思うあなたへ

はいはい。
タイトルと写真は全然関係ありません。念のため。

ちなみに今日の写真はうちの愛琉(あいる)さんです。
これからも関係ない写真を使っていこう。


「隣の芝生は青い」

てなことを言ったりするよね。

今の自分の現状よりも、別の環境の方が良く見えるというやつ。
子どものころ、うちは貧乏だったので
結構いろんなものがなかったの。
特におもちゃとかは買ってもらえなかった。

子ども的にはこれはつらい。
なので親にこう言うわけだ。

「太郎君は買ってもらってた」

そうそう。
友達が買ってもらってるんだから
うちもそうでないとまずいよね?
という理論。

ところが親はやっぱり強くってですな

「よそはよそ!うちはうち!」

で一蹴されるわけだ。

子どもにとって我が家は世界のすべて。
なので我が家のルールは絶対だ。
泣く泣くあきらめるしかない。

このように子ども時代だけでなく
大人になってからも

「あっちの方がええなあ~」

ということはよく起こる。

これが例えば会社とかならまだいい。
転職するかしないかで済むからね。

この理屈が個人になるとややこしくなる。

「あの人がうらやましい」

ということになるわけね。
そしてこれ、うらやましがっているうちはまだいい。
それが劣等感になって、やがて「妬み」とかになると大変だ。

なぜかというと、これを解消するには

自分が相手よりも上にいくか
相手が没落するか

このどちらかしかない。
そしてこれもありがちな話なのだが、

妬みがある時点で、自分はうまく行っていない

ということがほとんど。
なので

うまく行っていない自分が相手に勝つ

ということになる。
これはもうほら、無理ゲーじゃね?

なのでやっぱり

「落ちぶれてくれんかなあ」
「失敗すればいいのに」

とついつい思ってしまうわけだ。

これだと

「隣の芝生は枯れればいい」

ということになる。

これではあまりにせちがらい。
ていうか、自分が残念になってしまう。

だからこれはやめたい。やめたいけど・・・

ヤツが気になって仕方ない。


実は私もかつてこういう状況だった。

うまく行かない自分
成功している知人

うらやましい、自分もそうなりたい、
頑張ってもそうならない、辛い。
ついつい「失敗しないかなあ」と思う。
そんな自分が嫌になる。

この繰り返しだ。
これはまずい。自分がどうにかなってしまう。
さすがにそれほど性格がよいわけではないが、
他人の不幸を喜ぶようになってしまっては
それこそ人でなくなってしまう。

とまあダークサイドにおちる寸前で
なんとか踏みとどまっているところであった。
もしあのとき

「お前なんかただのゴミだ」

とか言われたら、闇落ちしてたな。
あやうく鬼舞辻無惨になるところであった。
あぶないあぶない。

さて、そんな私だが「だった」と表現をした。
そう。過去形。今はそんなことはないからだ。

私は「隣の芝生枯れてしまえ!」を克服したのだ。
だから今は人と比較することがない。
うらやましくなることもほぼない。
毎日が平和で楽しいぞ。

ではどうやって

「隣の芝生枯れてしまえ!」

を克服できたのか?

それは単純に

日々やることを増やしたから

である。

やること多いとね、余計なことを
考える暇がないわけだよ。
結果、人と比べることもない。
だって自分でめいっぱいだからね。

なので人と比較してしんどくなっている人は
日々の仕事を増やしましょう!!

追伸1
確かに他人と比べなくなったけど
なんか毎日忙しくはなってしまった。
これはこれでしんどいこともあり。

追伸2
今さら気づいたのだが
そもそもフィールドが違う人と
比べていたではないか?と思う。
ヤギがサラブレットをうらやましく
思うようなもんだな、それ。