見出し画像

少女漫画と幸せになれない女〜りぼんっ子の場合〜

「りぼん乙女ちっく」なる言葉をご存知だろうか。唐突で恐縮だがまず下記の引用文を読んでほしい。

主に学園などの日常舞台に、「誰にも理解してもらえない自分」が恋愛において成就されるというパターンの作品を描くいわゆる「りぼん乙女ちっく」の代表的な作家。「乙女ちっく」には「かわいい」という男性側から発せられた価値評価を、むしろ自分たち女性の価値基準として捉え直し、記号的な消費を肯定する新しさがあった。

この文章をはじめて読んだとき、
多分4年前ぐらいだったかと思うけど
雷をくらったぐらいの衝撃を受けた。

小学生の時はもっぱら少女マンガなら
りぼんっ子で、とくに種村有菜先生の
「神風怪盗ジャンヌ」がだいっっすきだった。

聖書か?!って程何回も読み返しては
主人公のまろんちゃんの不安と孤独に共感して

でもそんな心の弱さをみんなの前では隠して
可愛くて最強の女の子として振る舞う姿に憧れ

そしてその弱さをこそ愛してくれるちあきくんと結ばれることで迎えるハッピーエンドに安堵するという

先程の引用で言うまさに「りぼん乙女ちっく」の典型パターンにどハマりしていたのだ。

さて。

そんな「りぼん乙女ちっく」な世界観を信仰し続けた結果が、今だ。

「りぼん乙女ちっく」は言い換えると、

「恋人による私の価値評価がそのまま私自身の価値となり、恋人に価値あるものとして認められることが私の人生の目標である」

ということにもなる。
かなりネガティブに振ったけど、
あながち間違ってもいないだろう。

この考え方、完全にやばい考え方だと
100人に聞いたら100人そう答えるだろう。

でも、実際この考え方に知らず知らずのうちに
囚われてしまってなかなか幸せになれないでいる女の子達も多いのではないか。

恋人に認められることは、
たしかに最上の喜びだ。

ああ生きててよかった、と思うし
この人のために人生を尽くしたいと感じる時、
その気持ちは幸せとも呼べるだろう。

だけどその「恋人からの価値の承認」を
失った時、あるいはそうまでいかなくても
恋人から評価される自分の価値が減っているのでは?と感じる時

そんな時、自分の人生を揺るがすぐらいの、
それこそ死にたくなってしまうぐらいの不安を
感じることになる。なるよね?
少なくともわたしはなる。

だからって何も「りぼん乙女ちっく」マンガが悪いとか、撲滅しろとか、そういうことを言いたいんじゃなくて

わたしと同じように「りぼん乙女ちっく」で育った結果この考え方に囚われて真っ暗闇の不安に落ちてしまってる女の子が、
「そういう考え方になってしまっているんだ」
ってことに気付いてちょっとでも救われることを願って書いてる。

幸せになるための第1歩も、
多分最後の1歩までの道のりもすべて、
自分の価値を自分で認めてあげること、
そしてその価値を自分で高め続けてあげること
に尽きる。

他人が言う可愛い!もすごい!もいいね!も
必要ではあるけど十分じゃない。

そういう風に見方を変えてから読むと、
同じマンガを読んでも感じ方が全然違う。

そうして読む「神風怪盗ジャンヌ」はまたより一層泣けるよ。

よし、また久しぶりに読み返して寝よう。
今日もおやすみ。明日も生きようね。

※TOP画像「神風怪盗ジャンヌ」より



本を買ったりします