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父とのメールを見返して感じる後悔

どうもヒッキーです。
父が亡くなって、早8年が経とうとしています。
意識を失う前日までは赤飯を食べて、「美味しい」といっており、その次の週には長男が久方ぶりに帰ってきて、楽しい時間を過ごすはずでした。
ですが、朝方、突然の嘔吐と意識不明になり、そのまま帰らぬ人となりました。

さきほど、検索の拍子に、ふと、Gmailに残っていた父とのメールのやり取りがでてきたので、見返していました。

父は本当に文章が下手くそで打ち間違いがよくあって、毎回解読するのに手間どるんです。
例えば「タショ遅くなります」とか、句読点がつけられていない文章とか。とにかく読みにくい。
今みると笑えますが、当時はそんな文章にイライラしていたのも事実。

だからなのか、父への返信は「了解。頑張ってね」とか短い言葉を返していて、会話しようとしていないことが感じられます。
これに対して、父がどう思っていたのか、もはや分かりません。

でも客観的にみて、冷たい息子だな〜って思います。
本当は健康で長生きして、子育て頑張った分、楽しんで過ごしてほしいとか色々思っていたのに、それをあとから伝えればいいやと後回しにしたり、その時の自分の状況を優先したりして、「本当に伝えたかったこと」を伝えていなかったんだな〜とメールを見返して思いました。
もっと、思いやりのある言葉をかけていればよかったです。

家に帰っても、お互い口数少ないので、そこまで沢山語ったことはなかったけど、思い出せば、空港まで迎えにきてくれたり、帰り着いたら連絡をくれたり、あ〜愛されていたんだなと思うことは沢山あります。

親子ってそんもんなのかもしれませんね。SNSをみれば、もっと近い距離で触れ合っている家族もいますが、亡くなった今、もうこの距離を変えることはできないんですよね。

幸い、母は健在で、年に一回ですが帰省して、一緒に時間を過ごせることはとても有り難いことです。

できないことを悔やむより、できることを探して、一緒にやっていく。
それしか今はできないんですよね。
10月は母が東京に来る予定があります。
一緒にご飯を食べ、会話をするだけで幸せをきっと感じられると思います。
それを頼りに日々を頑張ろうと思います。


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