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他人軸をやめれつつある、その実感

好かれたいとか、嫌われたくないとか、感じのいい人と思われたいとか。
それは、誰のためなのか。


無理をして好きでもない、むしろ嫌いだと思ってしまう人に対してまで、その場の空気を読んで、笑って話合わせるようなことを何十年もやってきたけど、最近になって、それをやめつつあるなと自分で感じる。
もちろん好きな人にでも、結局、その人に嫌われたくなくてピエロにように振舞っていた。

ずっと、頭ではわかっていた。
嘘ついているのは自分の方だって。
人に対して、本音でぶつかれないから、誤魔化し虚栄心から背伸びをする。
虚栄に虚栄を重ねていく。
苦しいのに。
でも、どうしていいのかわからなかった。

こんなこと言えば(すれば)あの人は私の事を見損なうだろうか、嫌われてしまうだろうかと、自分の中で悪い方に考えていたのだけど、それは私の思考の癖である。
癖に気付いただけでも、めっけもんである。

それに、他人は私が思うほど、私の事を気にしていない。
私の自意識過剰っぷりにはあきれるところがある。




自分軸で物事を考えてるんじゃないか?って思う日が多くなった気がしている。
いい傾向な気がしている。


私が何かの行動を起こしたからと言って、他人がどう感じるかは他人の問題であって、私の問題ではないんだってことに気付いた。
相手がどう思うよりも、私がどう思うか感じるか、それをまず大事にできないなら、相手を尊重することもできない。


ひろゆきがよく言ってる、「それはあなたの感想ですよね」の感覚に近い(笑)




今年は、自分の成長が実感できる一年だった。
確か去年も成長したなぁと思ったけど、今年は一段とそう思う。


来年もきっといい年になる。


今年も一年お付き合いいただき、ありがとうございました。noteの向こうにいるみなさんのおかげでメンタル保てているというのは、大げさでもなく誇張でもなく、本当にそう思っています。

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