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しんどいと言えないから私は書くことで紛らわせる


”はぁ疲れた…”とぼやきたくても、既に老体となった自分のケアに勤しむ親の姿を見ると何も言えなくなる。

腰が痛い、目が見えない、腕がしびれる、足が痛い、血圧が高い、耳が遠い、今度の病院の検査が云々かんぬん、次から次へと病気のスケジュールで親は忙しそうだ。
介護が必要な状態ではないのが唯一の救いか。


自分の体の症状を母にしてみても、いつの間にやら私の話から母自身のしんどい話に変わる。
よくある会話泥棒だ。
話をしてスッキリしたいのに、スッキリするどころか、イラっとする。
そして必ず後悔する、”話すんじゃなかった”と。
この会話泥棒にイライラするので、自分自身の話を避ける原因となっている。


母の記憶ももうなんだかぼやけているようだ。
私や弟の子供時代の記憶と母自身の子供時代の記憶がごっちゃになっており、懐かしの歌謡曲が流れその曲や歌手を知らないと言う私を不思議そうに眺めるんだ。


「弱ってきた親(年寄り)は自分の話しかせぇへんよ。自分の事しか考えへんようになっていくで。」
と同居で親を看ている同僚が言っている。

確かにそんな感じになってきている。


親ってなんだろう、いつまでも親は親、と思っていたのだけど。
親って、威厳があって怖くてでも子供のことを気にかけていて、というイメージがここ最近なくなっていっている。
今は、しおしおになっていて、気難しくて、子供のことは気にも留めずに、自分勝手に振る舞う割にどんくさい、やたら物をため込む、というイメージか。


親の見方が変わっていくのは自然なことなのだろうか。
いつか我が子も私のことをこういう風に見るようにになるのだろうか。



ぼやき節を親には言えないし言う気もないので私は今日も淡々とこのnoteに書く。
今すぐにでも家を出たい気持ちを抑えるように、自分をなだめるように。