仕事納めと私の変化
今年最後の仕事を終えて、帰宅。
この一週間ぐらい、とてもあわただしい毎日だったので、ようやく一息つける。
忙しい業務の合間に、気付きがあった。
忙しくても人手が足りなくても、協力もしないし、部下に「いまさらそれ聞く?」というような初歩的な内容の質問をして、私たちの仕事を邪魔してくる上司猫又(久々の登場だな)がいるのだが、以前にも増して彼は仕事をしない。
メンディーちゃんをはじめ、他の同僚は猫又の使えなさにボヤキが止まらない。
参考までに猫又の生態を集めたものがこちら。
でも、もう、私は猫又に対し、腹も立たなくなっていた。
これがココ最近の気付き。
どうやら私、猫又の姿が見えなくなっているようだ。
いや、見えない、というのは違うか。
物理的に網膜から脳に「猫又らしき象」の電気信号は送られているようだが、私にとってその「猫又らしき象」は存在しないんだ。
猫又という物体はそこにあるが、あるだけ、である。
もう、上司でもなく、ただ単なる置き物。
上司としての態度や言葉など、猫又に一切の期待をしなくなっている。
猫又を私がどうみているかというと、書類にハンコ押す機械、もしくは紙を印刷する機械(プリンター)である。
それ以上でもそれ以下でもない。
ハンコさえ押せればそれでいい。
書類さえ印刷できればいい。
銀行なんだからね、ハンコ、重要。
私はハンコも書類もどうだっていいんだけど、これが仕事だから粛々とこなしているだけ。
心理学のおかげか、こういう解釈をすることで猫又に対してはストレスフリーな日々を送っている。
ただ乗り(フリーライダー)だし、ローパフォーマー。
働きアリの法則も合致する。
そんな使えない上司を、自分と同じ人間だと思うことはやめにした。
同じ土俵で考えるから、腹が立つのである。
「すげーや、きんにくちゃん悟り開いたん?」
と言われたので、開眼したよと言っておいた。違うけど。
心理学の学びが実生活に役立ってきてるのを実感すると、とても嬉しい。
それではみなさま、よいお年を。(って今年最後のnoteを匂わせてみるが、また気が向いたら書くような気もしている。)