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コンビニへ行かなくなって

今やコンビニは、現代の私たちにとってはなくてはならない社会的な機能を持ったものになった。

宅配便、公共サービス、帰宅困難者サポート、ATM等多岐にわたる。
コンビニの必要性と共に、その中で働く人たちの多岐にわたる業務を考えると、ひいいって小さく悲鳴を上げる。

コンビニの店員さんって頭の回転早いよね。
商品陳列してレジ打ちしておけばいいわけじゃない。
そんなひと昔前のこと言ってたら、怒られる。






コンビニは老若男女問わず、気軽に立ち寄れる場所。
一時期、街のホットステーションとLAWSONが言ってたっけ?(今もそういうキャッチフレーズなの?)

昼ご飯を買いに行ったり、コーヒーが飲めたりできて、なんならイートインスペースで食事もできて、確かにほっとするよね。

知らない土地で特に僻地のような田舎で、はるか遠くに見えるコンビニの看板を見た時の、言い知れぬ安心感よ。
砂漠の中でオアシスを見つけた感覚よ。(砂漠行ったことないけど)






まだ私がマキシマリストでお金に対して無頓着で、あればあるだけ使っていた頃はよく近所のコンビニへ行っては、買い物をしていた。

1000円札を握りしめて買い物をし、お釣りがいかに少なく買い物できるか、バカげたチャレンジしていた。ひどい時は毎日のように。

お釣り数円(6円とか)を貰って、おお!惜しい!って言ってた、それも娘と。

今思えば、何が惜しいねん、何をそんだけ買ってん!ってなる。
教育上も良くなかったなぁ。

品物の全部の金額1000円にいかに近づけられるかって、要らないものまで買ってさ、算数の勉強にはなったかもしれないが、そういうつもりでコンビニ行ってたわけじゃなくって、ただにコンビニスイーツやコーヒーやビールが欲しいからってだけだったな。




スナックも飲料水も定価なんだよね。
ちょっと足を延ばせば、スーパーマーケットだってあるのにその頃はコンビニへ週2,3回は通ってた。
スーパーマーケットで120円のスナック菓子も、コンビニなら200円するのに当時は平気でポイポイ買っていた。
この80円の差、塵も積もれば山となるのを当時の私は全く気付いていなかった。

最近の私はコンビニへ行った記憶がないんだわ。
おそらく、1年間は行ってない気がする…。
近所のコンビニがセルフレジになったらしいよ、って聞いて1年経つ気がする。
さほど用事がないのよねぇ。
支払いもネットでできるし。


今の私にとっては、コンビニで買い物するというのは贅沢な行為になってしまったようだ。