大学院をやめて東京で就職する前に、最後に。

来年の春、大学院をやめて東京で就職します。
自分のために、最後に思いを書き残して学生生活を終えようと思います。
供養のためにnoteで書いてしまいました。
(※社会はこうすべき的なことは多分書いてないです。自分がどうしてきたか、どうしたいかを書いてます。)




高校の受験から大学院の研究まで

地元では公務員以外で働けないと思ったため、可能性を広げるためにも大学受験を真剣にやろうと思い立ち、高校2年からコツコツと勉強を始めました。
家にお金があまりなかったので塾に行けず、またインターネットのような情報源も十分になかったため、学校の先生と小さな書店の参考書コーナーだけを頼りにしていました。
本やテレビで得た情報から自力で学習法を模索して、自分に適した学習や自己管理を実践しました。
その結果、学年順位が高校2年時には数百人の真ん中ぐらいだったのが、受験時には上位5人に入るようになっていました。
センター試験(共通テスト)の1週間前にインフルエンザにかかりましたが、当日は自己最高点を取ることができ、なんとか第1志望の大学に入学できました。
頻繁に質問に行っていた先生方からはすごく喜ばれたのを覚えています。
自分は要領が良くないものの、分析して実行して継続して修正して、今あるものを使って実現可能な選択ができるのだという自信がつきました。

ただ、改めて思い返してみると、協力してくれた家族や先生方に勉強を教え合った友人達という環境と運のお陰で、今の自分があるのだと思います。
あるとき、大学に行った弟妹から「うちの家って浪人も私立大学進学もできないって言われて受験のときは苦しかったけど、乗り越えて何とかやってて偉いよね」と言われて抱いた様々な思いは、一生忘れられないです。

実家にお金があまりなかったので、大学の学費が免除されていたお陰で、バイト代で生活費を賄うだけで大学に通えていました。
1回生の時に、周囲との情報やお金や能力や経験の格差に圧倒され、絶望して何も手につかない状態になっていました。
それでも大学やバイト・ボランティアなどの課外活動で様々な人と出会って、少しずつ自分の進む方向を決めて、自分の興味に合った大学院に進学しました。
大学院での研究活動は人生で最もやりがいを感じるものでした。
自他共に認める要領の良くない私にとって、自分のペースでアイデアを出して試して、それが形になったときに味わえる達成感は、この上ない喜びをもたらしてくれました。
「速さ」「頭の良さ」「お金」といったものから独立して、自分で初めて見つけて他者に正当性を確認されたことだけが価値を持つ世界は、自分にとって救いとなっていました。
学会では何度か発表することもできて、研究者の方から質問を何度もしていただいて、充実した時間だったと思います。

この生活では、生活費は家賃込みで月8万円もいりませんでした。
私にとって、生きる上で最も必要だと感じるものが満ち足りていた瞬間です。
結果が出て先生と議論した日、外がすっかり暗くなって車も少ない大学からの帰り道を、高揚感と共に自転車の錆びた重いペダルを漕いで帰ったあの時間は、今でも思い出せる幸せな時間でした。


大学院での限界から就職活動まで

そんなやりがいを感じていた大学院での生活ですが、途中で限界が来てしまいました。
金銭的な問題と将来への漠然とした不安が原因です。
研究が行き詰っている時に、学振をはじめとした支援プログラムの申請書を何日も何週間もかけて書いては不採用になりましたが、それに関しては自分の中では決着がついていました。
それでも、自分以外の知人は採用されている状況で、学振以外にも申し込んだ支援プログラムも不採用になって、そういったことを繰り返しているうちに、自分の中のもやもやとした気持ちが無視できなくなっていました。

そういった支援プログラムに一度も通らなかった先輩で、今もアカデミアで活躍されている方を何人も知っていますが、私は彼らほど研究をする自分を信じきることができませんでした。
昔と比べると支援が充実してきた分、より一層それに通らない自分には価値がなく必要とされていない人間なんだと感じてしまい、すぐに答えが出ず答えがあるかもわからない問題を生活の全てにして取り組むのは苦痛でした。
宮崎駿さんの「結局、趣味持ってる奴は駄目ですね。全部アニメーションに吸い取られてしまった人間でないと」という言葉の意味を毎日痛感していました。
私は、自分が視野が狭くやや極端な人間だと思っているのですが、熱中できているときには問題がなくても、一度冷めてしまうと一気に恐怖に囚われて動けなくなってしまう自分を知りました。
他に何も見ずに全力を注ぎこめていた熱意が、じわりじわりと蝕まれていき、また何も手につかない無気力な状態に陥ってしまいました。

それから、自立支援医療制度で心療内科に通いながら、経験を積むためにアルバイトやインターンシップをして別の道を探そうとしました。
しかし、それもうまくいかず、短期でアルバイトの離職を繰り返していました。
アルバイト先の企業が取り組んでいることはいいと思えても、お金でモチベーションを上げさせる雰囲気がどうしても合わず、続けられませんでした。
スキルを身に付けなくてはいけないという強迫観念に駆られて、半年間勉強や就職活動を行いましたが、どこにも採用はされませんでした。

就職活動をしていたある時、面接官の方から「私もあなたと似た経歴ですが、私は研究の次に向いていてやりたかったことが今の仕事です。あなたはそうですか?」と言われ、はっとしました。
また、キャリア相談をしていたアドバイザーの方から、「『しなければいけないこと』ばかりを考えてない?『したいこと』を考えれば答えはシンプルで、あなたはこれまで色々とそれをやってきたでしょう」とのアドバイスを受け、目が醒めました。
漠然とした将来への不安に左右されて、やらなくてはいけないことばかりを考えていた私は、自分を騙そうとして全てを見失っていました。
それからは自分が研究の次にやりたかったことを見つめ直し、エントリーシートや面接対策を行って3ヶ月間毎日のように面接を受けた結果、志望した業界から複数の内定を頂くことができました。
はたしてこれが私にとって向いていることなのかやりたかったことなのかは現時点ではまだわかりませんが、少なくとも以前どこからも採用されなかったことと比べると、自分が必要とされているように感じています。

私は、研究そのものよりも研究活動を通して得ていたものに、最も価値を感じていたのかもしれません。
就職活動の途中で、借りていた奨学金の返還免除の採用連絡や留学の話を聞きましたが、以前のように研究へ向かう気持ちは湧き上がりませんでした。
全てはタイミングの問題だったのかもしれませんが、こうして私の学生生活は終わりを迎えました。


振り返りと将来の夢

大学院で色々と見失って休学してインターンやワーキングホリデーに行く学生を多数見かけました。
それはほんの数人のことではありませんでした。
今は情報が溢れていて進路選択がとても難しい時代なんだと思います。
私の場合は、自分がやってきたこと以外をいったん忘れて進路選択をしました。
やってないことの情報を増やしたところで自分に関係のない情報が増えて、より悩むようになると思ったためです。
視野を開けたり狭めたり、ちょうどいいバランスで進路を選んでいくのが現実的にはいいのかなと少し思っています。

私は自分の人生を振り返って思うのが、逃げて自由になることが何よりも好きなんだろうなということです。
それでいて、何かで他人の役には立ちたいという思いを抱えているような気がしています。
今はそれができる手段を思いつきで探している途中なのかもしれません。
折角いただけたチャンスなので、これからは様々な人と出会って会話をして、自分の狭い視野を少しずつ開けていけたらと思います。

多分、私のような自己満足して消費が嫌いで、他人と協力して大きな仕事をするのが苦手で、思いつきで行動したくなる人間は、山籠もりでもしていた方が本当はいいんだろうなと思います。
しばらくは東京で仕事をしてお金をためて、国内外を旅して、職人や寺や猟師のところへ学びに行きたいと思っています。
そして最期は一人で、心乱されない場所で、無私の状態で終われるのが理想です。
それまでに自分の手と創意工夫で少しでも何かを形にできたら、それ以上のことはないかもしれません。
たとえ形が変わっても、やることが違っても、私はそれが何よりもやりがいを感じることだから、それを求めて最期まで生きていくと思います。


自分のためだけの文章でした。
お付き合いいただきありがとうございました。


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