歴史に残る神さまと消えていく神さま
お客様から「月読命」について知りたいと言われたので、ちょこちょこ論文漁ってみたりホームページで論考を読んでるのだけど
仏教流入期の「日月」の影響とか。
スサノオと神話が混同する話から元々はニ柱だったのを三貴子にしたとか。
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おそらくそれもあるんだろうけれど、
スサノオが出雲の土着の神であったように、どこかの月神を祀る一族(たとえば隼人とか)の神を、大和政権が習合させていったと考える方が自然なのではないかなと、
月神をお調べになっている方のホームページを拝見していて思う。
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書かれたものはやはり意図があって書かれていて、つまり書かれなかったことにも意図があって書かれないわけで。
みんな神話と神さまについて、わりと夢見がちでドラマチックな話を期待されて「お話聞きたいです」って言ってくださるのだけれど、調べれば調べるほど「夢見がち」無感覚で語るのが薄っぺらく感じてしまう。
まあ、アマテラスが政治的に作られた神だよって言われても、つまらないのはわかるんだけどね。
かつてその神を信仰していた民たちが、いつのまにか大きな政権の中に組み込まれていく。
信仰の対象である神様はそっと存在を許されてはいるものの、厚遇されるかというとそうでもない。
そんなことを考えると
うっすらとした悲哀のようなものを感じてしまうのです。
英雄の伝説も1人の人間ではなくて、同じようなことを成した無名の人たちを血肉にして作られた人格や物語だったりするのと同じで、
私たち人間は単純化してシンプルにまとめていくのが好きだから、似たような役割の神さまがいっぱいいるなら、まとめて一つの神さまにしてしまおう。
そうなったとき、消えていくのは当然小さな氏族の神さまだ。
そういうのが見えてくると
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「あの神さまにはこんなご利益があってね」
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って言うのが嫌になってくるのですよ。
(ほんとに世間の流行に迎合しないよねぇ)
だいたい、日本は災害大国なお陰で
「丁寧に扱うことで悪鬼も守護神になる」
っていう考え方がある国で、
一神教でも宗教でもないから
神さまって全能でもなんでもない
ただの荒ぶる自然の純粋な性質なんだと思うの。
それが、人間に都合がいいか悪いかなだけで。
自分にとって都合が良かろうと悪かろうと
神(自然)に悪意はないんだよね。
神の振る舞いを知った上で
いかに向き合い
いかに仲良くすれば良いのか
それを自分で考える。
それでいいと思うのです。
ご利益がないとは言わないけれど
それは人の念であることがほとんどなので。
というわけで、
とても勉強になる今日この頃。
こういう話が好きな人のためには、ちゃんとお話をしていこうと思うのです。
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