「女性らしくあること」と東大女子と


女の子として生きることは、簡単じゃありません。

それは男性も同じかもしれないけど、私たちは社会的に見たら、弱者です。


普段、ジェンダーや男女差別の話をするのってあんまり好きじゃないんですね。

なぜかって、この手の話に興味を持つのって、圧倒的に女子が多いから。

女子の方が問題に共感しやすいのはわかるけど、女子だからってジェンダーについて語ると、どうしても女性の権利をあげよう、という話に終始しそうで。

女性だからといって安易にフェミニズムにはしりたくはないと思ってた。


でも今日は、親愛なるある先輩が、この記事をもとにnoteを書いてたこともあって、これまでの経験で形成された自分の考えについて書いてみたい。




クロアチアで働いてた時、

ヨーロッパの女の子達の振る舞い方は、いわゆる日本の女子と違うと思いました。


日本には、中学生以上になると、教室で自ら手をあげることがなくなる女子、職場でパワハラやセクハラの対象にされる女性社員、といった現状がある。


私たち東大女子も、「東大女子です」と言うことの肩身のせまさよ。

美容院では、「どこの大学?」って聞かれるのが怖くて、美容師さんと学校の話題になるのを必死に避ける。

小学校の時の男友達に会って、敬遠されたような雰囲気になって、何かあるたびに「東大だからな」と言われる。


それって、

「男子より優秀だとよくない」

っていう暗黙の了解の表れだよね。


別にそれを否定しているわけじゃない。

私だって、中学生になった途端に教室ででしゃばるのをやめたから。



ただ、ヨーロッパの子たちは違った。


グループで活動していて、一番に口を開くのは女の子。

何か気に入らないことがあると、男子がいようといまいと全力で憤慨する。

話の流れが自分の思っているものと違うと、男子が話しているところでもがっつり遮る。

男子も、それによって気分を害されていそうなそぶりはまったくなくって、裏でぐちぐち言ってる場面も見たことがない。


高学歴であるはずのエマワトソンは老若男女問わず人気だし、ケンブリッジ大学から東大に来た留学生の女の子の友達は、イギリスでもちやほやされているみたいだった。


こう考えると、日本とヨーロッパで、
どうしてこういう違いが生まれるのか不思議なくらい。

私自身女性差別の被害者みたいなところはあったし、周りにそれを発信することはないにせよ、日本のこういうジェンダー観を、不快に思っている部分はあった。



ある国に行くまでは。それがトルクメニスタン


この国は、すごく不思議な国だったんです。

女性は運転できないし、権利が制限されている部分も大きい、と聞いた上で、実際に行ってみた。


そうしたら、確かに伝統的な価値観が流布していて、女性の権利は制限されていた。

でも女性達は大学にたくさんいたし、彼女達には男性達と同じようにキャリアの選択肢が開かれていると言っていた。


何より、びっくりしたのは国際女性デー

トルクメニスタンでは国際女性デーを盛大に祝っていて、私もなぜか外務省の人から立派な布と、大学から真っ赤なバラとギフトをもらった。


女性達は美しく着飾ってパーティーに行って、すごくしなやかに踊ってた。

女性であることを事実として受け入れて、その上で女性という役割を果たすことに大いに喜びを感じているみたいだった。


「私は女性であることに幸せを感じてる。トルクメニスタンでは社会的に女性にキャリアの選択肢が与えられているし、何も問題はない」

と話してくれた子もいた。

確かに、私自身がジェンダー問題の中で女性に同情するとしたら、それは機会が平等ではないとか、弱者になりやすいという部分。


彼女達に体現される、

女性の役割は、男性を支え、笑顔でいること」

という部分は、個人的にはすごく共感できるものだわあ、と思った。


▲トルクメニスタン女性の民族衣装、私ももらった布で作った


じゃあわたしの主張はなんなのか、って話。

結局、いくら私が声を大にして叫んだところで、全ての日本国民のジェンダー観ががらっと変わることなんてない。


現実に対して不平を言ったり、悲観したりするのではなくって、

女子に生まれてよかったことをまずはていねいに享受したい。

親や周りの人から、女の子だからってとくべつ大切にしてもらえる。
立っていたら、女の子だからって席を譲ってもらえる。


東大女子ってレッテルも、捉え方次第。

中には知性を女性の品格の一つとして、魅力に感じてくれる人もいる。


女性らしさという女性の魅力を体現した上で、社会的にも頑張れるんだというところを認めてもらって、応援してもらえるようになれたらいいなあって。

私がそう振舞うように努力することで、自分の周りの人から、すこしずつ変えていけたらなあと。


さらに、この記事を書くきっかけになった上野さんの言葉を見て思ったこと。

「がんばれる」環境を持った恵まれた身だからこそ、世界中に「がんばりたくてもがんばれない」女性がいるとして、その人たちの分まで、女性であることの幸せと可能性を、たくさん見つけて体現していきたいと思った。